文学フリマに出たり、「ポニョはこうして生まれた」のDVDを見た。

冬の文学フリマが24日にあって、
そこで売る小説を書くのに集中していました。

文学フリマに「ブログ読んでます」って言って、
買っていってくれた方がいてうれしかったです。
そのとき「最近、更新してないですね」と言われて、
わー! ブログ書かなきゃと思ったのでした。
ありがとうございます。
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(kasahiさん撮影)


10月の中旬から土日はずっと自宅にいて、
夕方にジムで運動をして、書店に入って、コーヒー飲んで、
レイトショー見て、焼鳥屋で一杯やって帰るということを、
飽きずに繰り返していました。

ずっと自宅にいて、そのあいだ小説を書いていたのかというと、
これがそうでもなくて、全然書けなくて苦しんでいました。
今回の『突き抜け』は、ぼく抜きで出すしかないと思ったほどでした。

で、全然書けなくて何をしていたかというと、
『ポニョはこうして生まれた。 ~宮崎駿の思考過程~』
というDVDを見ていました。

このDVD、5枚組で12時間半もあって、
NHKの若いディレクターが宮崎駿監督にずっと密着して、
カメラを回しているのですが、超おもしろいのです。
何がおもしろいのか挙げ出したらきりがないのですが、
ぼくがおもしろいと思ったのは、
宮崎駿監督が苦しんでいる」
ところです。すごく苦しんでいるのです。ずっと。


映画作りに取りかかる前の監督は、けっこう機嫌がいいのですが、
映画作りが始まると、どんどん機嫌がわるくなってきて、
愚痴っぽくなってくるわ、マジ切れするわで、
ディレクターが頻繁に怒られるので、
「わー そんなに近寄るとまた怒られるよ!!」
と、こっちがハラハラしていると、案の定カミナリが落ちて、
「ほーらやっぱり怒られた! だからいまはダメだってのに!」
と、見ている側が気まずい気持ちになるという、
不思議なドキュメンタリーでした。
(気まずすぎて、しばらく見たくなくなるほどでした)


なんでそんなに機嫌がわるくなっているのかというと、
映画の制作が進むにつれ、監督が神経質になっていくからで、
それというのも、自分が描いた絵コンテをもとに、
ジブリの大勢のアニメーターが作業をするので失敗が許されないうえに、
早く描かないと進行が止まって、映画の公開が遅れるという
板挟みの状態になっているからで、
それだけでもノイローゼになりそうなのに、
そのうえ、前作を超えるようなストーリーと絵を、
そこまでの展開や時代の空気や監督の今の気持ちなどに沿って、
選択していこうとしていて、おまけに、
アニメーターの原画のチェックと手直しも全部してて、
逃げ出したくなるような極限状態が何か月も続くからで、
そんなになってるんだから密着取材なんか断れよ!
とツッコミを入れたくなるのだけど、
こんな修羅場のリアルな映像を見れるのは貴重だから、
怒られる~! とビクビクしながら覗くように見たのだった。


で、見ていて思ったのは、
宮崎監督は自分自身をあえて追い詰めているということ。
「これまでと同じだったら、これまでのを見てればいい」
と言って、これまでにないものを作る挑戦をしていて、
それはストーリーだけでなく、線の一本にまで至っている。
手が覚えている慣れた描き方で引いてしまう楽な線を、
常に意識的にずらして描いていたり、
自分のアイデアを自分で裏切ったり、
できるかわからないことをやろうとしたり、
作って試して壊して、何度もシミュレーションをして、
わざと時間をかけて悩んで苦しんで、ゆっくり進めていた
(監督自身「時間をかけないといけない」と言っていた)。
とにかく考える量が多くて、あらゆるパターンを考えている。
「(映画を見た人に)わかんないと言われたとき、
わかんない奴がバカだと言える」ように何通りも先回りして考えて、
さんざん考えた中から自分の気持ちに合うものを探すという。
そうすることで、誰でも思いつくことではない
すぐにできるものではないものが、できあがるという。


何度も出てきた言葉に「危機感」というのがあって、
ジブリの鈴木プロデューサーの話もあるのだけど、
宮崎監督が精神不安定になるのは、毎度のことらしく、
それは「理屈ではとらえきれない領域に入りたい」から、
そうなるらしい。そうしたときに、
いいものができる、おもしろいものができる。
これを「脳みそのふたを開けなきゃいけない」と形容していた。
そのために、自分を追い込んでいるのだという。
たしかに、精神不安定になってくると、
神経が過敏になって、いつもなら見えないものが見えたり、
あらゆることが自分へのメッセージのように
感じられたりすることがあるけど、
そういう状況をあえて利用しているのだろうかと思った。


もうひとつの苦しみのポイントは、
宮崎監督の幼少期にあったらしき心の問題のようなもので、
ドキュメンタリー番組なので、そういう流れにしてるのでは
とはじめは訝しんで見ていたのだけど、どうもやはり、
お母さんとの関係で何かがあるようだった。
「おふくろに対しての気持ちをほどいていない
どうすればおふくろはもっといきいきと生きられたんだろうと
時々思ったりする」と監督が語っていた。
ポニョの映画の終盤で、お母さんを投影したようなおばあさんと、
主人公の少年をどのように描いていくかのところから、
「なんで絵コンテをやり出すと突然肩が重くなるんだろう」と、
絵コンテがものすごく遅くなる。
見ていて思ったのだけど、クライマックスというのもあるけれど、
ここに宮崎監督の向き合いたくないけど向き合わないといけない、
何かがあるのだろうと思った。だから辛くなるし悩むし進まなくなる。
そして、それを表現して対峙して昇華することが、
結果的に映画に欠かせない要素になっていくのではないかと思った。
だからラストはもう宮崎監督のためにあるように思えたし、
宮崎監督の心にその何かがなければ、そもそもポニョの映画が、
完成しなかっただろうと思った。その何かのシーンを越えてからは、
「作り始めたときはいろいろあるけど映画を作る作用で希望に向かっていく」
と語ったり、映画も円満にエンディングになっていく。


このドキュメンタリーを見たあとに、
あらためて「崖の上のポニョ」を見ると、
カットのひとつひとつに思考とか念がこもっていて、
隙がなく、なぜここはそうなっているのか
理由を説明できるようになってると思ったのだった。
ドキュメンタリーから宮崎作品のすごさがよくわかったのだけど、
「ものを作る」こと全般に共通する大切な条件やプロセスなど
(悩むこと、時間をかけること、ロジックを精密に組み立てること、
心の何かと向き合うこと等々)が、ここにあるように感じたのだった。



で、長くなってしまったのだけど、
『ポニョはこうして生まれた。 ~宮崎駿の思考過程~』を見た
ショックで、文学フリマ用の小説が書けなくなったのでした。


つづく。長くなってしまった、寝る!)


結局、小説は書いて『突き抜け』も出せました。
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