3月は忙しかった。お酒を減らそう。

3月はとても忙しく働いた。新しい技術にふれるのは楽しい。
いろいろ読んだり調べたりしてコードを書いて何かを作る作業、
ぼくはこういうのが好きなんだと思う。小説を書くのとか、
ゲームを作るのとか、そういうことを続けていきたいです。
ぼくの性質は、ひとりで完結できるようなのが理想なのかもしれない。
しかし、ひとりでやっていると、新しいことや気づきとか、
そういうのが入ってこない。なのでバランスよくやるのがよいのでしょう。
勉強することがたくさんある。コツコツやらないといけない。
なかなかできない。基礎がおろそかだからかもしれない。まずい。


お酒を飲みすぎたときの、翌日のダメージが見すごせないほど大きくなっている。
回復までに時間がかかる。ぐったりしすぎる。頭も痛くなる。
20代のころは二日酔いだなあと感じていたけど、
いまでは、深刻なダメージという感じで寿命が縮んでいるような気がする。
だからお酒を飲むのやめるというか、やめようか、もう。


それにしても、なんというか、昨晩飲みすぎたせいかもしれないけど、
どうも、むなしさを感じる。むなしい。孤独のようなものかもしれない。
孤独ではないのだけど、精神的な孤独とでもいうのでしょうか。
これをよく観察して味わうことも大切なことでしょう。


ところで、話しているとエネルギーが奪われていくような人がいる。
奪われるというか、自分が無力化される感じといった方が近いかもしれない。
そういう人を観察していると、どうも相手を下に見ないと、
関係性を築くことができないようだと思える。なんでそうなるのか。
予想にすぎないけど、親の影響なのではないだろうか。
多くの子どもが、はじめて目にする人間関係が、両親の関係で、
両親の関係が、子どもの関係性の築き方のベースにあるように思える。
たとえば、人を下に見ないと関係性を築けない人は、
父が母を、または母が父を、下に見ていたのではないだろうか。
子どもは、その見下した関係性を愛情とか親密さと認識してしまうと、
人との距離を縮めるために見下すことが必要な人になる。
話していて感じる無力化される気持ちというのは、
その人が親から感じさせられた無力感でもあるのだろう。
それを本人は無意識でやっている。下に見る以外にも、
卑下する、強がる、弱がる、偉ぶる、依存する、
ふざける、ケチをつける、迷惑をかけるなど、
人によっていろんな歪みのパターンが見られる。
子どもなら柔軟だし、ぶつかり合う相手も周りにいて良くなる可能性は高いけど、
おじさんおばさんになってこうだと、前頭葉は委縮するし、
面倒くさい人と思われて人が離れていくから、治す機会もなくなる。
話していて疲れてくるのは、そういう人が自分の歪みや傷の修復のために、
無意識で相手を巻き込んで手伝わさせようとしてくるからだろうな。


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