MacBookを膝の上にのせて、
「プロフェッショナル仕事の流儀」を見ていたら、
膝が熱くなって大変でした。
今回のプロフェッショナルは、ローソンの社長でしたが、
プロフェッショナルは本当に泣けるね。


これまで何回分も見てきましたが、
共通する要素のひとつは「」だと思いました。
経営者ならお客さん・従業員に対する愛、教育者なら学生への愛、
医師なら患者さんへの愛、編集者なら作家への愛。


どんなにいやな奴だろうと、いやな奴とも思わずに、
誰でも周囲の人々を徹底的に愛して愛して、
全面的に愛を丸出しにして、それを伝播させていくから、
プロフェッショナルの人々からは、すごい魅力が出てくるのだと思います。


それで周囲に自分の意思が通じて、
愛した結果が、たくさんの相手から返ってきて、ひとつのパワーになって、
ひとりの力・アイデアでは絶対に無理なことや、
普通の人間には到底できないことを、
ものすごい発想や力でできるようにしてしまうのではないでしょうか。


うまくいく人を見ていると、
愛を美しく循環させているように見えますし、
そういう人は見ててなんとなくオーラが見えるというとあれですが、
そういうのは確かにあると思います。


ショーペンハウエルという人の本に、



われわれのあらゆる認識と科学とがその上に乗って支えられている基礎は、
説明不可能なものである。だから、いかなる説明も、
多かれ少なかれいくつかの中間項目を通ってさかのぼりながら、
結局はこの説明不可能なものにゆきつくわけである。
それはちょうど、海上で深さを測るために垂れる鉛が、
ところによって深さのちがいこそあれ、結局はいたるところで
海底にとどくのと同様である。
この説明不可能なものが、すなわち形而上学の本領なのである。


とあったのですが、
プロフェッショナルは、各分野でそれぞれ鉛を垂らして、
この説明不可能なものに向かっているのだと思うのです。
また、別の箇所には、以下のようなことが書いてあります。



意志に奉仕する知性にとって、すなわち実際的に使用されている知性にとっては、
存在するものはただ個々の物事のみである。
芸術と学問にたずさわる知性にとって、すなわち独立に活動している知性にとっては、
存在するものは、すべて種とか属とか類とかのような普遍的存在のみであり、
事物のイデア(理念)のみである。造形的な芸術家さえも、個体の中に理念を、
すなわち類を表現しようとしているのである。


プロフェッショナルの仕事は、
仕事に理念が表現されていると思うのです。
それで、それが説明不可能なものに向かっているから
感動するのではないでしょうか。
だから製品や組織を作るのではなく、説明不可能なものに向かって、
この人類を本能的に惹きつけるもの、
宇宙だとか神だとか愛だとかでしょうか、わかりませんが、
表現せずにはいられないという切実なものを表現した結果が、
製品や組織になりましたというのが、真の姿ではないでしょうか。
と、番組を見ていると思うのです。


なんか、熱が出てきたかもしれません。
こんなことを書いているということは、
間違いなくが出てると思います。