探し回っても、本当の理想のものは各個人の中にしかない

昼まで寝て、手拭とカミソリを持って、
バイクに乗って郵便局へ行って払込みをしてから、
無印良品で石鹸を買って、そのまま天然温泉の出る銭湯へ行って、
顔を洗ってサウナに入って、ぬるいお湯に30分浸かってから、
シャツを買って帰って、家で黒澤明の「生き物の記録」のDVDを見て、
それを返却して、先日MacBookを置く用に買ったテーブルに、
MacBookを置いて、線香焚いて、瞑想して、
のだめカンタービレを見て、缶ビールを1本飲んでこれを書いています。


10連休が終わって、明日から会社ですが、
自宅謹慎をしていたような気分です。



音楽を聴くとか、本を読むとか、旅行をすることとかの多くは、
確認作業なのではないでしょうか。
本当は人間は既に全部知っていて、見たいと思っている本当の理想が、
無意識か意識にあって、それに近いものを見て、
自分はこれが好きなんだと、より明確に確信できるように、
重ねて塗込む作業なのではないでしょうか。


見たいと思っている理想のものを、必死に探しまわるより、
いっそのこと自分で作ってしまった方が、
自分で作るのだから、より理想に近いものになるはずなので、
安心できると思います。
探し回っても、本当の理想のものは各個人の中にしかないのだから、
見つかるはずがないと思います。


儲けようとするなら、たくさんの人の理想の、
最大公約数みたいなのを作れば売れると思いますが、いや売れないな。
逆に、完全に突っ走ったものが売れるケースが多いのは、
それに理念があるからだと思います。
となると、なんだ、理念が人が理想と思っていたものを崩すのでしょうか。
魂が欲しているものに共鳴するからでしょうか、
だから、本当の理想のものは、ないのだと思います。
本当の理想と思っているものはエゴで、
理念があれば、人類共通のグッとくるものに刺さるのではないでしょうか。
生きることや、平和とか、子供たちの未来とかでしょうか。
昨日、NHKで手塚治虫の特集を見たのですが、そんな気がしました。


ところで、「しいな一人百首」の
「実写版砂かけ婆に阿久悠を ウズベキスタンで署名活動」は
ボツとなりました。ボツと採用の基準が分からんし、


「理念」とか言っといて、結局こんなんか!