則天去私

三月ウサギさんのブログに「則天去私」という言葉があって、
「ああ、まさにこの言葉なのだ」と、
心がしっとり潤ったような気分になりました。
この言葉を辞書で調べると、

我執を捨て、諦観(ていかん)にも似た
調和的な世界に身をまかせること。


「則天去私」。
最初に変換したら「即転居し」と出ましたが、それはおいといて、
以前に体感した宇宙との一体感、調和的な世界に溶け込んで、
地球も宇宙も他人も自分も、全て境界がなく、
すべてがすべてとしかいいようのないもの。それを感じること。


それが、生物・地球・宇宙の全体最適化、
渦巻き貝の渦のバランス、そういった本質を、
自然に超能力的に観ることを可能にするのだ。と思いました。


あらゆる基準は、生物・地球・宇宙全体のためになるかどうかなのです。
どちらの判断が、結果的に神に多く貢献できるかなのです。
貢献することが、僕の生き物としての使命なのだと思います。


全体の何割かの人間が、その使命を強く感じるのではないでしょうか。
それはもう、宿命であって、嫌でも
逃れることのできないものなのだと思います。


それによって、具合が悪くなったり不安になったりするのは、
貢献をするための準備なのだとしか思えません。
この不安などが、表現に駆り立て、その表現によって
多くの人に悟りを与え、悟りの波が広がることで、
人類の全体最適化につながっていくように、この世はできています。


宿命を受けた人は、生活圏には存在しない。
なので、自分の存在が確認できずに、不安になるのです。
何かを作って表現し、それを見た人たちの変化・反応によって生じる
悟りの光によってのみ、生活圏の中にいつつ、
自分の姿を浮かび上がらせて、自分の手足を見て、存在を確認できるのです。


確認し続けないと生きていけないようにできている。
だから、人類、宇宙のために生きる以外にないのです。
宿命を受け入れて、敬虔にやっていくしかないのです。
則天去私なのです。
それが、全体的に圧倒的に自然で当然なのです。