このプログラムを宿命というのではないでしょうか。

NHKスペシャルで、100年も解けなかった
ポアンカレ予想」というのを証明した数学者の話をやっていたのですが、
とても面白かったです。


難問を解いたペレリマンさんは、数学の賞を拒否して、
消息を絶ってしまったそうです。
番組の最後の方で、行方が分かって、
ペレリマンさんの恩師が彼を訪ねるのですが、
ペレリマンさんは電話口で会うことを拒否して、
恩師の人は「彼は別人になってしまった」と嘆いていました。


番組のまとめでは、ペレリマンさんは、
普通の人では想像できないくらい過酷な試練に耐え抜いた結果、
何かを失ってしまった、というような感じになっていましたが、
僕は、そうは思わなくて、失ったのではなくて、
逆に、得たとか、悟ったのだと思いました。


人が現代で生活を送るためには、
知ったり考えたりしない方がいいことがあって、
自分が誰で、何で生きてて、宇宙ってなんだといった
根源的で考えなくてよいことを考え続けると、頭がおかしくなる。
ほとんどの人はそれを考えないから、おかしくならずに、
仕事をしてローンを払ったり、結婚をして子供を育てたり、
自分の存在を疑わずに生活ができる。


でも、おかしいのはどちらか分らない。
生活を普通に送っている人の方が、何かを失っていて、
虚構をそれと気付かずに一生を終えているようにも見えます。
だいたい8割の人は必ずそういう感じになるように、
プログラムされていると思うので、
それはそれでいいと思います。


でも2割くらいの人は、虚構を感じて、
生きている実感がしないようにプログラムされている。
虚構のシステムを抜けたところで貢献して、初めて、
生きている実感を得るようにプログラムされている。
このプログラムを宿命というのではないでしょうか。


真理を見たら発狂するし、見ないでいたら倦怠して絶望して。
そんな宿命の人の、生き方も含めた捨て身にも見える表現が、
8割のレベルを上げて引っ張っていく力になっているような、
気がしないでもないのです。