脳が脚色をして埋める。その力が創造力

金曜の夜は久々に居酒屋「よし」へ。
おばさんが骨折されていたそうでしたが、治っていてよかったです。
やはりあのおばさん(いや「お姉さん」と呼ばなくてはいけないのか)が
いないと「よし」らしさが出ません。


1時間半でビールを大か中で5、6杯飲んだら、
今日は一日中、大変でした。

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二日酔いで、朝から自動車学校へ行きました。
大雨の中2時間、路上を走って運転は慣れましたが、
道がまったく覚えられません。近所なのに。


教習所の帰りに、ユニクロでズボンを買って、
裾を直してもらっている間に、ジムへ行って1時間運動。
お昼にオムライスを食べて、服を受け取って、
雨がすごいのでタクシーで帰りました。
午後3時から、3時間昼寝しました。

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マサイ族にマジックを見せても、
視力が良すぎて、タネが丸分りになってしまうそうです。
視力がマサイ族ほどでない日本人は、マジックで驚く。
見えない方が、感動する場合もある。
騙されて感動するか、真実を見て冷めるか。


若い人にしか聞こえない「モスキートーン」という音があって、
これは蚊のような音で、不快なのだそうです。
未成年者がコンビニの前にたむろするのを防ぐために、
モスキートーンを発生させている店もあるようです。
聞こえない方が、不快でない。


ヒトは錐体という器官で、光の波長を
「R(赤)」「G(緑)」「B(青)」として感知して、
脳で色として再構成していますが、感知できる幅が決まっていて、
感知できずにスルーしているものは、いっぱいあるのですね。


そう考えると、例えばその辺の「石」からも、
色や音や匂いや味や触感が、放出され続けていると考えてしまいます。
しかし、その刺激が普通の人間では感知できないから、
「ない」と思っているだけで、きっと何か出てる。


だから、五感だけで現実を捉えるのは、よいのかと思いました。
きっと、第六感や第百感とかあったりするのではないでしょうか。
他にも、猫にしか感知できない感覚もあるのでしょう。


人が死んだとして、死んだことは、
実際に見たり、人から聞いたりして死んだことを知る。
死ぬと火葬されて、もう会って握手したり話したりできなくなるから、
悲しくなりしますが、それは五感だけで捉えたときのことです。


以前、祖父が亡くなったとき、祖父が宇宙に溶けていった実感を得たのです。
その実感は五感では分けられませんが、死ぬのも生きるのも、
宇宙の中での位置と属性が少し変わるだけで、
存在は変化していないことに気付いて、
悲しくなりませんでした。


五感よりもっとたくさんの感覚で現象を捉えたら、
すべてのことは、喜怒哀楽のないクールなものになる。
捉えたものと、捉えきれなかったものの間、
その空間を脳が脚色をして埋める。その力が創造力で、
そこに感情が生まれているような気がします。