初めて生で佐藤教授を見ました。

また、横浜美術館へ行ってきました。
「現代的シュルレアリスム」というテーマで、
佐藤雅彦さんが公開プレゼンテーションをするというからです
(昨日知りました)。


初めて生で佐藤教授を見ました。思っていたより小柄な人でした。
僕の記憶に残っているCM(ポリンキー、スコーン、
ドンタコス、バザールでゴザール、モルツ等)は、
ほとんどこの人が作ったもので、最近だと、
アルゴリズム体操ピタゴラ装置の人なのです。


何がすごいかというと、ずっと昔から一発で終わらずに、
「I.Q.」とか「だんご3兄弟」とかずっとブームを作り続けている人で、
「作り方を作る」とか、人間の根源的な部分から
やっているからすごいのだろうな。本当にすごいのです。

  • - -


佐藤教授はシュルレアリスムを、日常を送っているうちに、
当り前で見えなくなってしまった中に、
突然現れて「強い(過剰な)現実」を感じさせるもの。
「クラクラ」とくるものという定義をしていました。
また超現実は、幻想とは異なり、真のリアルを
感じさせるものだとしていました。


そんな感じで、シュルレアリスムの手法であるフロッタージュ、
コラージュ、自動筆記を、「現代」でやるというテーマで、
研究室の人たちがそれぞれ発表をしていました。どれも興味深かったです。


特に印象的だったのは、動画を複数の静止画にして、
それを重ねて積層にして、ペンタブレットでこすると、
過去の映像が出てくるものでした。こすっているうちに過去と現在、
時間軸が分らなくなって、複数の時間の映像が平面に流れる、
とても不思議で魅力的な映像、見たことのない映像になっていました。


自動筆記の発表では、街の看板等から文字を取ってきて、
意味不明の詩を作るというのをやっていましたが、
これに関しては、僕とcalypsoさんで作っている「しいな一人百首」の方が
おもしろいと思いました。


シュルレアリスムの画家の、マックス・エルンストという人が、
挿絵を描いて小説を付けて、不思議なのを作ったそうなのですが、
そういうのを作ってみたいなと思いました。

  • - -


でも何だろう。こういう「超現実」を感じさせる意味って何だろう。
それは、「感動」に近いものなのだろうけど、人々を感動させて、
「真のリアル」を見せる意味って何なんだろう。
メディアアート、映像、絵画、音楽、文学、
見た人たちが悟りを得て、楽しく過ごす、平和に過ごす、
地球がよくなる、宇宙がよくなる、でもそれが何なんだろう。


普段の現実に埋没して一生を終えるのだっていいはずなのに、
あえて超現実を見せる意味って何だろう。
悟りを得て死ぬ人と、得ずに死ぬ人、どう違うんだろう。
自由に生きる、楽しく生きることが、そんなにいいことなのだろうか。
もし、超能力で病気を治したり、人々の魂を解放して救済したり、
宇宙の真理を解明することができたとして、
結局それが何なのか。


あと千年もしたら、人類全員が悟って、地球は平和になって、
宇宙も真理も解明できていると思うので、ほっといていいと思います。
その先、どう生きるかを考えたいです。