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吉本隆明さんの講演会『芸術言語論』へ行った。

ほぼ日刊イトイ新聞」の10周年記念企画である
吉本隆明さんの講演会『芸術言語論』を聴きに、
三軒茶屋の昭和女子大学人見記念講堂」へ行きました。



僕は、吉本隆明さんの本は、
『定本 言語にとって美とはなにか』しか持っていなくて、
しかも、内容が難しくて最後まで読めていなかったので、
講演を聴いても分かるかなあと思っていました。


吉本隆明さんは、80才を過ぎていて、車椅子で登場して、
喋りは何を言っているのか、最初よく聞き取れませんでした。
当初は、1時間半したところで、休憩が入って、
糸井重里さんが、お客さんを代表して、
吉本さんに質問をするという予定だったそうです。


しかし、吉本さんの話が止まらずに、続いて続いて、
途中、糸井さんが紙コップで飲み物を持ってきても気付かず、
2時間が経過したときも、おずおずと糸井さんが来て、
「あの、2時間が経過したのですが」
みたいなことを言って、「あ」みたいになっていましたが、
結局、吉本さんは、3時間話し続けていました。
会場は一体になって、静かに吉本さんに耳を傾けていました。


言葉を選んで選んで、ゆっくり、話しているのを聞いて、
僕はメモを取りました。
吉本さんの「自己表出」と「指示表出」は、
「宇宙」と「生活」なのかと思いました。



「作者の精神構造」「表現」「表現の結果(作品)」を繋いで、
凝縮したときに、作家自体の本質的なもの、芸術言語があると
いうことでした(たぶん)。宿命ともおっしゃっていました。


音楽でいえば、演奏家は、本質的なものを解釈して、
演奏をしなくてはいけない。その本質的なものがあるかないかで、
素人でも違いが分かる。表現したい普遍的なもの。普遍芸術。
それは、政治や社会とかあらゆる分野に拡大できるということでした。


それから芸術の価値についてのお話もありました。
沈黙にもっとも近いところから出てくる独り言が、
芸術の大部分を構成している。自己表出。


小説についてのお話もありました。
コミュニケーションは「指示表出」。
俳句は五・七・五の限られた文字の中に自己表出があって、
小説は、筋として「指示表出」があって、
そこに価値が生まれ、間接的に「自己表出」がされている。
純文学が「自己表出」で、大衆文学が「指示表出」ということのようです。


作家は、読者に読み方を強要することはできない。
そうなると、偶然と偶然がぶつかったとき、
例えば、作品に書かれていたことと、
同じことを読者が考えていたときというような、
そういうときにしか、価値が生まれない。



というようなことをメモしました。

3時間はやはり長くて、僕は3回くらいウトウトしました。
僕だけでなく、僕の両隣の知らない人も、
カックンカックンなってました。
少し意識が夢の方へ行って、戻ってきたときも、
まだ吉本さんが話している。
これはなんだか、すごく贅沢な時間だなあと思いました。


それから、以前に読んで何ともいえない不思議な気持ちになった、
吉本さんの詩を思い出しました。

おう きみの喪失の感覚は 全世界的なものだ

きみはその ちひさな腕で ひとりの女をではなく

ほんたうは屈辱に沈んだ風景を抱くことができるか


この詩の作者の方が、このおじいさんなんだと思うと、
なんだかじーんとしました。


3時間過ぎたときに、糸井さんがまた出てきて、
もう終わりの時間であることを告げると、
「半世紀考え続けたことを、1時間半でやるのは無理だった」
とおっしゃって、舌をペロッとだして、頭をかいていました。


車椅子を押されて、舞台から姿を消してからも
しばらく拍手が続いていました。


なんと言っていいのか分かりませんが、
とにかく、すごい時間と空間でした。