イッセー尾形の一人芝居「わたしの大手町」を見て感動した。



イッセー尾形氏の一人芝居を見てきました。
場所は大手町の日経ホール。
会社の同僚のKさん、松坂小輔くんと行きました。



すごくおもしろかったです。
約2時間で8人ぐらいの人間を演じて、
サラリーマンや、おばあさんホステスや、田舎の高校生など
存在感が緻密に構築されていて、おかしいのですが、
何とも言えない哀しさも感じました。


イッセー尾形氏の演じる人間を見て、お客さんが笑うのは、
例えば、あるサラリーマンのネタを見て、




「ああ、こういうオッサンいるなあ」




という気持ちがあるからだと思うのですが、
「じゃあ、そのオッサンは、具体的に誰なの?」
と聞かれると分からなくなるのでして、
仮に、「そのオッサンは、Aさんです」と言えたとしても、
その似方は完全ではなくて、部分的であるはずで、
さらに言えば、そのAさんより、
イッセー尾形氏が演じるAさんの方が、
よりAさんらしいという事態にもなるのでは、
と思ったのでした。


その理由は、お客さん一人一人が、
「ああ、こういうオッサンいるなあ」
と、それぞれ思い描くオッサンがいて、
イッセー尾形氏は、その無数のオッサンを系統立てて、
素因数分解みたいに分解した後に、
「純粋で抽象的なオッサン
を再構成しているからではないかと予想しました。
だから、誰がどこから見ても、おもしろくなっている。
これはとんでもなくすごいことだと思いました。


そしてつまりは、お客さんの中に、もちろん僕の中にも、
イッセー尾形氏が演じる人物の、
元になる要素が、必ず少しは入っているのでして、
となると、僕らは自分を笑っているのか、
人類自体を笑っているのかとなるから、
それが、何とも言えない哀しさになっているのかなと思いました。



あと、

ネタとネタの間に、化粧をしたり衣装を変えるのですが、
舞台の端に、鏡や洋服掛けや小道具のある場所があって、
そこで変身していく様子も見ることができるのです。
変身中のイッセー尾形氏は、無駄のない素早い動作で、
服を脱いで、服を着ていました。
そして着替え後に、舞台中央に立って、照明が明るくなると、
そこには、完全に別の人間がいて、
このメリハリがすごくカッコよかったです。


30年近い積み重ねが、体の動きや、
台詞の端々にまで行き渡っているように見えました。
こういうのを「芸」というのだろうなと思いました。