休日に片づけをしたり、物語について考えたりした。

久しぶりに目覚まし時計をセットしないで、
眠りたいだけ眠ろうとしました。
そうしたときに限って、早く目が覚めたりしますね。


昼少し前に起きて、ジムに行って運動。
走りながら、漫才や小説のことを考えました。
それから、有隣堂でシステムダイナミクスに関する本と、
薬局でマルチビタミンを買って帰りました。


それから、一ヶ月ぐらいの間できないでいた、
パソコンの設定や、書類の記入とか、机の上の片付けをして、
読み終わった本の付箋を貼った箇所を、
グーグルドキュメントに入力したりしました。
あと、修理に出していたイヤホンの受け取りと、
ビールを4本買いました。


夕飯を食べてから、うたた寝して、
とてもすっきりしました。ああ、よかった。
深夜に「プロフェッショナル」の再放送がありました。
『スラムダンク』や『バガボンド』の作者の井上雄彦さんでした。
要所をMacbookでメモしながら見ました。



印象的だったのは、

ネームという絵コンテみたいなのを作る時の様子でした。
一度、世界を切り替えて、物語の中に入って行き、
キャラクターたちを迎えに行くというところに、
へえー、と思いました。
キャラクターたちは作品の中で生きていて、
それに憑依して描いているようでした。なので、
ネガティブな精神状態のキャラクターに没頭してしまい、
1年間連載を休止したこともあったそうです。


完全に自分が空っぽではないと、
キャラクターの感情に100%繋がれないというところは、
完全にイタコとかシャーマンの世界だと思いました。
それから、受け取ったものを、
絵や言葉に変換する技術で紙上に再現させる。
霊的な能力と、人間界の技術の、高い位置での両立。
すごいことだなあと思いました。


僕は、ちょうど小説家の島田雅彦さんの
『小説作法ABC』という本を読み終わったところで、
そこには、起承転結やストーリーをきちんと企画書みたいに、
あらかじめ作った方がよいと書かれていて、
なるほど、なるほどと思っていたのですが、
井上雄彦さんのストーリーに関する考え方は、
キャラクターがきちんと描けていれば、
どう転んでも、結果的にストーリーになるというものでした。


あらかじめストーリーを決めておく方法と、
逆に、キャラクターからストーリーにしていく方法。



そんなことを考えていたら、

先月末、リアル桃鉄をして、
レポートをまとめたときに感じたことを思い出しました。
リアル桃鉄は、たとえば、
「午後4時に、hassyさんが錦糸町ででんぐり返りした」
というように、
「時間」と「キャラクター」と「場所」と「出来事」を、
パッケージにしたものが複数、点として並んでいて、
その間を波のようなもので、繋げていくことだと思ったのです。


要するに、ひとつのパッケージは、
サイコロという偶然によってもたらされてはいますが、
定期的に存在する必然みたいなもので、
それが起承転結のような通過ポイントになっている。
その必然の連続の間にある、偶有性のもやもやの中(霊界)に、
アクセスして、一本の因果を読み取っていくと、
自然とストーリーになるのかなと思いました。


それを物語の作り方とした時、「すごく難しそうだな」と思って、
僕は「セレブ」になりたいので、なんとかしてその方法を体系化し、
量産体制を作らなくてはならないと思うのです。
そのために、「物語を作る」ことをシステムダイナミクス的な、
視点で捉えてはどうかと考えました。


先で言ったパッケージ、
時間と場所とキャラクターを属性、イベントを関数として、
ひとつのオブジェクトにして、システムの基本的な挙動パターンや、
ストックやフローという概念で、人物を動かしていったら、
物語のモデルができるのではないでしょうか。
たくさんモデルを作って吟味する。
初期値や、関数や、森羅万象のどの部分に焦点を合わせるかを、
どれだけ独創的にできるかが重要になります。
もうひとつ重要なのは、雑念を取り払い、
そのシステムに100%没入できる力だと思います。
「宇宙」とか「神」とか言われているものは、
そのシステムのことなのでしょうか。


ということは、なんだろうか。
うまくできれば、漫才や音楽とかにも適用できそうです。
悩んでしまいます。