横浜でニブロールとチェルフィッチュを観た。



ニブロールというアーティストグループによる
コンテンポラリーダンス「あーなったらこうならない」
というのを観てきました。
場所は横浜赤レンガ倉庫。一四時開演でした。



舞台には、ブラウン管テレビが数台置かれていて、
赤や青や緑の画面の中で、ロボットのような
ポリゴンでできた人間が高い所から落下する
映像がずっと流れていました。


舞台の上を四人の女性と、二人の男性が、
ギャーとかキャッとかウワーと叫んで走り回ったり、
跳んだり、絡み合ったり、大騒ぎをしていました。




さっぱり意味が分かりませんでした。




しかし「意味が分からない=おもしろくない」
ということにはならなくて、おもしろいのでした。



話しは少し変わるのですが、

前に、デヴィッドリンチ監督の
「マルホランドドライブ」という映画のDVDを観た時に、
監督へのインタビューがあって、
この映画も意味が分からないのですが、
映画の解釈について、インタビュアーが監督に聞いたとき、
デヴィッド・リンチ監督がこう答えていました。

音楽のように捉えてほしい。
音楽は抽象的で、言葉では表現されにくいと思われ、
一方で映画に対しては、人々の見方が異なり、
音楽とは違った分かりやすい解説が求められる。
理屈抜きで音楽を聴くのと同じで
映画も理屈抜きで体感してほしい。


映画でも抽象的な表現が用いられるが、
自分の直感や感性を働かせれば理解できるはずだ。
見た時に自分が感じたことをもっと信用してほしいと思う。
理解できたという感触を人に言葉で伝えるのは難しい。
自分が見た夢を説明してもうまく伝わらないのと同じだ。
言葉にできなくても理解に変わりはない。
自分の感覚を信じていれば理解の扉は自然と開くはずだ。


僕はこの言葉を聞いたとき、
これでいいのだ、と思いました。
それと、自分の直感や感性を磨こうと思いました。



で、

今日見たコンテンポラリーダンスも、
自分の直感を信じて、宇宙の流れを汲めば、
ああ、なるほど。と思いました。
僕が思ったのは、ひとつひとつの行動や出来事は、
人によって受け取り方が全く異なっていて、
そのカオスが個別のシーンであって、さらにそれが
組み合わさって世界できているのだということでした。



あと、これは公演のチラシなのですが、
家族写真って、すごいインパクトですよね。



その後、

同じ公演を観ていた、
ライターの土佐有明さんとお会いしました。
土佐さんは、ニブロールの後に横浜美術館へ行って、
チェルフィッチュという劇団を見るとのことで、
ついて行きました。



無事に当日券を手に入れることができ、
一七時に開演しました。
「わたしたちは無傷な別人であるのか?」
という作品で、たいへん不思議な内容でした。


唐突に女性が出てきて、演技をする感じではなく、
「ここに男がいます。この男は幸せです」
と説明をするのです。そこに男はいないのです。
他の出演者も、説明をしていきます。
そして全員、言葉と関係のない意味不明な動き
(手を動かしたり、ゆっくりのけぞったり)を
ずっとしてるのです。
これまた、



さっぱり意味が分かりませんでした。




どれくらい分からなかったかというと、
数分間眠ってしまったくらいです。
そして、眠っているのは僕だけではなくて、
僕の前の人も、横の人も寝てましたし、
後ろからは、いびきまで聞こえてきました。


これが実に気持ちがよいのでした。
うとうとして、夢と現実の間をさまよって、
ふと顔を上げてもまだ芝居は続いていて、
淡々と説明の言葉が紡がれていくのでした。
言葉はシンプルで、感情は一切込められておらず、
人が持っている属性を剥ぎ取って、
まるで人が物のようになっていきます。
そして一時間くらいすると、
ああ、なるほどとぼんやり思いました。
人は不安を忘れながら(見ないようにして)生きている。
見たら戻れなくなる宇宙から目を背けて。
肉体と精神が分離していく不安、関係性がなくなる不安。
幸せというのは、その抗不安薬なのだろうな。
ああ、なんてこった。



それから、

会場を出ました。土佐さんと、
土佐さんがやっているワークショップの生徒さんの
こまきさんとで、クイーンズスクエアの中の
インド料理店に入ってカレーを食べました。


チェルフィッチュのインプットが大きすぎて、
しばらく腕組みばかりして言葉が出ませんでした。
ビールを五〇〇ミリリットル飲んだら、
ようやく血の巡りがよくなって話すことができました。


演劇のことなどのお話を聞いたりしました。
それから、不安であること、モテたいということと、
お金が欲しいということで意見が一致しました。


二二時頃に店を出て、電車に乗って帰りました。
今日は、頭いっぱいです。