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十月の満月の日。M−1、バーネット・ニューマン展。

この頃、眠っている間にメールが届くと、
そのメールの内容を夢のなかで知ることができるという、
おかしな現象が何回かあって、いよいよ
頭がおかしくなってきたかと思いました。


こういうことは時期的なことで、季節の変わり目、
三、七、十月がとくに変になりやすく、さらには、
その月の満月に近くなればなるほど、
神経がむき出しになる感じがします。
で、今が、十月の満月というわけです。



そんなおかしな中、

M−1グランプリです。
今年は、いつもの「サイレンツ」というコンビと、

「サイレンツ」


リアル桃鉄から交友のある、あまやんさんとももさんと
一緒に組んだ「ダダイズム」というトリオで、
二回も出場しました。

ダダイズム


二組とも僕がまとめて応募をしたので、
なんと同じブロックに、僕が二回出ることになり、
二回目に出たときは、出てきただけで笑いが起きました。
しかし、両方とも結果は突破ならずで残念でした。


何がまずかったのかと考える間もなく、
敗因は、


考え不足


だと思いました。なぜ考え不足になったかというと、
漫才以外のいろいろなことがたくさんあって、
頭が混乱して、分散して、集中できなかった
ことにあると思いました。
このままでは何事も中途半端になってしまうと、
一度、仕切り直したい気持ちになりました。
また、去年は練習を一度もしないで勝ち抜けたので、
うぬぼれて油断したというのもあります。
何ごとも戦略的に計画的に。手を抜かずに。


漫才の前日から、どうも熱っぽくなって、
漫才の直前も台詞が全然覚えられなくて、終わっても、
なんだか頭が、ぽーっとなっていたので帰りました。
家に帰り着いても、神経のどこかがモヤモヤしているので、
ジムに行って筋トレと有酸素運動をしました。
たくさん汗をかいて、露天風呂に入って息を吐くと、
見事な満月でした。明るい、明るい、満月でした。



日曜日は

千葉の佐倉にある川村記念美術館へ行きました。
とても素敵な美術館らしいということと、
バーネット・ニューマン展を見たかったからです。
ひのじさんと行きました。



それにしても、曇っていて寒かったです。
品川駅で待ち合わせて、そこから総武線快速
佐倉まで一時間ちょっと電車に揺られます。
世界の短篇小説集の中からおもしろかったものを
ひのじさんに読ませて、僕はユング
『創造する無意識』を読みました。


佐倉駅から、美術館までの無料の送迎バスに乗ります。
これには二十分くらい乗ります。
川村記念美術館は、緑に囲まれた幻想的な美術館でした。

こまかい小雨で、ぼおっと辺りがけぶっていて、
大きな池には大きな水鳥、そこに立ってても現実感がないのは、
十月の満月の日のためかもしれませんが、
神経が過敏で、どこもかしこもシュールに感じられて、
マグリットの「王様の美術館」って、
こんなところではないかなと思いました。
そのうち、大きな亀が空を泳ぎだすかもしれません。


少し歩くとお城のような美術館があります。

中に入ると、ちょうど
「二時からの案内をお待ちのお客様はこちらにどうぞ」
と学芸員の女性が言ったので、
待ってなかったけど、その列についてそのまま歩きました。
常設展をひと通り、解説をしてもらいながらまわりました。
とてもよかったです。そして、最後に、
目的のバーネット・ニューマンの展示に行き当たりました。


ニューマンの作品は、一面を一色で塗ってそこに、
「ジップ」という縦線を引いただけの抽象画ばかりでした。
僕がもっとも感動したのは「アンナの光」という巨大な絵画でした。
「赤」といってしまうとあれなのですが、一面が赤で塗られていて、
両端がすこし白いジップなのか、赤い部分がジップなのか、
わかりませんが、とにかく圧倒的な感覚でした。
観ているうちに、焦点がぼやけて、
色が色でなくなってきて、波動として迫ってきて、
「あああ、この人は、これなのか……」
と思うと、はああ、と溜め息が出ました。
なんて切実で切り詰めて、本質的なことなのでしょう。
集合的無意識、宇宙でした。


閉館時間の五時までいて、外に出ました。
バスで佐倉駅まで戻り、インドカレーを食べました。
食後にカフェでも行きましょうと歩き出したのですが、
佐倉駅周辺は、お店がほとんどなくて、雨は強くて寒くて、
駅のホームで電車を待つことにしました。
傘をさしていたのに、なぜかこんなに濡れてしまう。



バーネット・ニューマンという名前を何度も忘れて
ひのじさんに聞きました。何ニューマンでしたっけ。
バーネット、バーネット。昨日の漫才の台詞も、
まったく覚えられないですし、でもそういう時期なのです。
記憶が、まったく、持たない時期。


でも、今日のニューマンの作品は、
僕の中の無意識にしっかり刻み込まれたと思います。
きっと夢のなかに出るでしょう。
どのようなかたちになって、意識に上がってくるのか、
いつ上がってくるのかもわかりませんし、
夢に見たとしても忘れて、また別の日に、
「あ、デジャヴだ」なんて思うのでしょうね。