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「たまの映画」の感想。

先週のことなのですが、「たまの映画」を見たのでした。
その感想をメモしていたので、書いておこうと思います。



生まれたときはみんな、
(世の中で言われているところの)才能が、
それぞれ分かれていて、みんな豊かに咲いているのだけど、
大人になっていく過程で、ほとんどの人が、
社会性とか常識というものの傘に入るために、
自分を最大公約数みたいに汎用化していく。
なぜなら、母数の大きい集団のルールに従うと、
それだけ経済的・文化的に安定した暮らしが保証されるから。


「やりたいことだけ。」というのが映画のコピーになっている。


満員電車に乗る、会議に出る、一日中PCの前にいる。
社会性や常識は、本能的に(こどもには)やりたくないことが多い。
やりたくないことを我慢してやること。ルールに大人しく従うこと。
残念だけど、そうしないと、ほとんどの人が生活できない。
「やりたいことだけ」やって生活できるのは、
才能がある限られた人だけなのだろうか。


もし、大人になる過程で、
徹底的に好きなことだけを突きつめてやっていれば、
才能が守られて、すばらしい表現ができて、
生活していくことができていたのだろうか。
生活できないのは、好きなことだけを
本当にやっていなかったからなのだろうか。
どこかでためらって、踏み切れずに、
中途半端になっていたのだろうか。


もし、好きなことだけをやって才能を守り抜いても、
その才能が社会に、少なくても生活できるぐらいに、
認められなくては、立ち行かない。
だから、生活できるかどうかは、運がとても大きいと思った。
が、いや、運ではないと思った。
たまというグループと、たまを構成するメンバーのひとりひとりは、
きちんと、才能と社会性(こどもと大人)を、運に頼らずに、
絶妙のバランスでキープして自立している。
だから、超人的に頭のいい人たちなのだと思った。


そして、僕は生活することにとらわれていると思った。
本当は、まともなところから外れていきたいのに、
どうしてもちゃんとしないといけないという強迫観念がある。
また、逆に、ちゃんとした大人への憧れもあるけど、
こどものように感情がコントロールできないことも多い。
きっといろいろな精神的な傷や圧力のようなもの、
そんなものは実際にはないのかもしれないけど、
そういったもので、かなりねじれて、不自然で、
あっちこっちへ振り切れてしまってるのが僕だと思った。


もっと自己愛や自意識から自由になって、
精神活動のバランスをニュートラルに保てるようになりたい。
いろんなものから解放されて、こだわらず、
こどもの感性と、大人の常識や形式化の力を合わせて、
やりたいことだけ、で生きたい。


と、たまの映画を見て思ったのでした。
そのように思わせてくれたのは、
映画の中の、知久さん、石川さん、滝本さんの音楽でした。
歌と演奏を聞くたびに、涙があふれてしまったのは、
この人たちの音楽の中に、
これがやりたい、やりたいことだけやるという気持ちと、
こどもと大人のバランスが結晶してできた、
大きな愛を感じたからです。