風邪で家で本を読んでいた。文士生没一覧を作った。

こう天気がわるくちゃ、めそめそもするわ。
僕は風邪がぶり返したようになって、熱が出て、
会社を休んで読書をしていました。ああ、へもい。
こういうの世間では五月病というのだろうか。
いわないか。


今日は、谷崎潤一郎の「卍(まんじ)」と、
志賀直哉の「真鶴」を読みました。
こういうのを文豪というのかと思って、
ぞくぞくしました。風邪のせいかもしれません。
それと、夏目漱石の「ケーベル先生」を読みました。
一文一文が上品に光って、心が磨かれるような素敵な作品でした。


あと、夏目漱石芥川龍之介久米正雄に宛てた手紙を読んで、
ぐっときたから、ここに抜粋して載せておくよ。

牛になる事はどうしても必要です。
吾々はとかく馬になりたがるが、
牛には中々なり切れないです。
僕のやうな老獪なものでも、只今牛と馬とつがつて
孕める事ある相の子位な程度のものです。


あせつては不可せん。頭を惡くしては不可せん。
根氣づくでお出でなさい。
世の中は根氣の前に頭を下げる事を知つてゐますが、
火花の前には一瞬の記憶しか與へて呉れません。
うんうん死ぬ迄押すのです。それ丈です。
决して相手を拵らへてそれを押しちや不可せん。
相手はいくらでも後から後からと出て來ます。
さうして吾々を惱ませます。
牛は超然として押して行くのです。
何を押すかと聞くなら申します。
人間を押すのです。文士を押すのではありません。

泣きそうになったよ、僕は。弱ってるのか。


ところで、こうやって読んでいくと、
この時代の文士たちが、どの年代でどう関係してたのか、
興味が湧いてきたので、国語便覧を調べたのですが、
一発で見れる資料がなかったのです。
なので、作りました。マクロを組んでWikipediaから
生没を自動抽出したので、間違っているかもしれませんが、
よろしかったらどうぞ。PDFです。
文士生没一覧.pdf 直


これで、あの人が何歳の時に、この人は何歳だったのかとか、
中原中也小林秀雄の年の差とか、自然主義がどうのこうのなって、
私小説が展開されていくとき、どんな感じだったのかを、
俯瞰して確認できます。
確認してどうする。


寝る。