なんか、胃が変。『野菊の墓』を読んだ。

『突き抜け3』に入れる小説のタイトルが決まりました。

サドル泥棒事務所(しーなねこ)
杳窕の町(イガラシイッセイ)
知らない手(たかはしりょうた)
ツヅキ2011(阿藤智恵)
臨海のころ(ひのじ)


です。
予約のページもそろそろ作ります。
よろしくお願いいたします。五百円くらいにします。



読書

現代日本文学大系の第十巻にある、
伊藤左千夫の『野菊の墓』を読みました。

野菊の墓―他四編 (岩波文庫)

野菊の墓―他四編 (岩波文庫)

これは岩波文庫の『野菊の墓』


十五才の政夫と、二つ上の従姉の民子のラブを描いた
小説なのですが、そのラブが「卵的の恋」と表現されるくらい、
垢抜けてない、純粋なラブなのです。
で、読んでいると、こちらまで、むずむずしてきて、
いや〜ん、と恥ずかしくなってくるのは、なんだか、
中学生の女子とかが書きそうな筋だからなのですが、
書き方が、とても写実的で美しいので大丈夫という、
よいのか、よくないのか、妙な気持ちになりました。


で、この妙な気持ちの原因を突き止めようと、
Wikipediaで『野菊の墓』を調べたところ、
「夏目漱石が絶賛」と書いてあって、ええ!?と思ったのです。
たしかに美しくて、最後は涙ぐみましたけど、
台詞や展開に人情話のような古臭さがあったからです。
というか、伊藤左千夫と夏目漱石はほぼ同年代で、
『野菊の墓』が掲載されたホトトギスに、
『吾輩は猫である』が同時期に出ているのですね。


そして、漱石が絶賛したという書簡を見て、
のけぞりました。

野菊の花は名品です。自然で、淡泊で、可哀想で、美しくて、
野趣があつて結構です。あんな小説なら何百篇よんでもよろしい

一発目から「野菊の」と、タイトルを間違っているのです。
誤変換とかない時代に、しっかり間違えたみたいです。


それはそうとして、正岡子規が重要なのだとわかりました。
伊藤左千夫や高浜虚子は正岡子規の門下で、
ホトトギスは高浜虚子が主宰していて、
だからこの人たちは、正岡子規の写生論にもとづいた、
「くれないの二尺伸びたる薔薇の芽の針やわらかに春雨のふる」
みたいな写実的な書き方をしているのですね。


そして、解説を読むと、『野菊の墓』は写生文として、
植物や山とかの自然を非常に精密に書きながら、
伊藤左千夫の性格が混ざって恋愛が入ったのかなと思いました。
それと、この小説を夏目漱石のと比べると、なんか古いのは、
夏目漱石が人間を具体的に写生文で書いたのに、
伊藤左千夫は、そうしなかったからでしょうか。
で、この古臭ピュアで超歌人的に巧いところが、
絶妙なバランスで、妙な気持ちにさせてくれたのかと思いました。


そう考えると、『野菊の墓』は、
あんまりよくないのではないかと思ったのですが、
ページをめくって読み返すと、どの文章もきれいで、
かわいくて、純粋で、会話を追うと、また、じーんとくるので、
やっぱり、この小説ってすごいんだなと思いました。
だから、漱石先生も絶賛するわけだと思いました。