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運動したり、小説を読んだりした。ふらふらするね。

今週は、ずっとかるい頭痛とめまいがしていて、
まいってしまいます。起きてからもはっきりしない。
けど、ようやく体調が整ってきて、
久しぶりにジムで運動をして帰ってきました。



ミネラルウォーターをまとめ買いしたのでした。
いつも自販機で買うと百円していたのですが、
一本あたり五十九円。地震の備えにもなっています。

短篇を四つ読んだ。

『新潮』で日韓中・三文芸誌による小説競作プロジェクト
というのがあったらしく、その第四回目、
「喪失」をテーマに書かれたものです。


『ヒグマの静かな海』津島祐子
『大浴場』『赤ベッド』莫言(吉田富夫訳)
『餌』キム・イソル(金明順訳)
『Geronimo-E, KIA』阿部和重


どれもずしりときたのですが、強烈だったのは『餌』でした。
つい先日読んだ田中慎弥共喰い』と比較して読みました。
どちらも「首しめオヤジとその息子」というか、
エディプスコンプレックス、父殺しの構造だったからです。
よく似ていて、対比するとこんな感じでした。

・首しめオヤジの最後
 息子にぼこぼこにされる。(餌)
 息子の母に殺される。(共喰い
・オヤジの暴力の対象
 息子も殴る(餌)
 息子は殴らない(共喰い
・ラスト
 二代目首しめオヤジの誕生。繰り返される悲劇(餌)
 母の大活躍。暴力を一応抑制できる?(共喰い
・出てくる魚
 ブルーギル(餌)
 鰻(共喰い

父を乗り越えて、自分の中にあった父の狂暴性をどうするか
という視点で読んだのですが、『餌』だと
父を乗り越えたような形にはなったとは思うのですが、
本人の問題は依然として解決していないどころか
ますます膨らんで二代目みたいになってしまったので、
実際は乗り越えられていない。心に父が巣くうことに。
共喰い』だと、乗り越える前に母が登場して、
劇的に父を葬り去ってめでたしみたいになって、
明らかに父を乗り越えてないけど、内に棲む父は
いまのところ静かになっている。
でも、いつ復活するかわからない気がする。


じゃあどうなればいいのかと考えると、
母の役割とか、それ以外の外界との関わり方で、
まともにしていくしかないのかなと思いましたけど、
そんな簡単なものではなくて途方に暮れました。
同じような構造で、こんなバリエーションで
父と息子を描けるのかと思いました。



話は変わりますが、

貧困のこわいのは、火の車から脱出するための
問題分析や解決に向けるリソースすら確保できずに、
選択肢なくそこに居続けるしかなくなることです。
それと貧困コースに乗っても、
変化がゆっくりで気付かないうちにじりじりと、
負のスパイラルに巻き込まれていくところですよ。


そして行動レパートリーがなくなった人は、
不安を頭の隅に追いやるために
中毒性の高いゲームなどに集中して、
ますます選択肢がなくなってしまう。
そもそもパフォーマンス・マネジメントが苦手なタイプだから、
そういう罠に陥りやすい。そういう層をターゲットにした
ビジネスばかり儲かっているのか、その手のCMが多い。


ゲームに限らずリテラシーとか性格に応じて、
消費行動を強化する仕組みがあちこちにあって、
とりあえずスキルアップとか、自己啓発したり、
スピリチュアルになったり、小説書いて一発当てようとか、
不安解消マーケティングが張り巡らされている。
本質を見失わずに取捨選択したいものです。
ところで本質って何だろう。


とはいっても、何に価値のウェイトを置くかは、
個人によって異なるし、諸行無常だしでわかりません。
健康やお金が手に入ればいいと思う人もいれば、
その代わりに別のものを手に入れたい人もいる。
僕の場合は、ただただ


おもしろく、気持ちよく暮らしたい。


それだけです。でもそれがむつかしい。
それを考えながら生きるのかな。