ぶっとんだ小説を三つ読んだ。

本を三つ読んだ。

クォンタム・ファミリーズ

クォンタム・ファミリーズ

東浩紀さんの『クォンタム・ファミリーズ』は、
ものすごくおもしろかった。
東さんの持つ専門領域の知識を結集させて、
またその頭脳でものすごく緻密に組み上げて、
それを家族の物語としてまとめて、
太いエンタテインメントにしてしまう、
とんでもなくぶっとんだ作品だと思った。
平行世界があったら、こうなんだろうなと思った。
複雑すぎて途中からわからなくなったけど、
全体として強烈にSFのワクワクが迫ってきて、
最後も希望が持てて、ぐいぐいと読み終えた。
こういうのは久しぶりだった。


緑のさる

緑のさる

山下澄人さんの『みどりの猿』も、
別の意味でぶっとんだ作品だと思った。
最初一人称の「わたし」で始まっているのだけど、
いつの間にか、「わたし」には見えるはずのない風景が、
見える描写、つまり「わたし視点」から「神様視点」に、
なったりならなかったり、それでも一人称で進む。
ところどころで出来事がシンクロして、なんなんだこれは、
と思うのだけど、中盤からああ、なるほど、
それならそういう視点になるかと、うっすら納得する。
だけど、最後になったらもう、さっき「なるほど」って
思ったのがちっぽけなことだったくらいヤバくなって、
視点の移動が空間にとどまらず、あんた、時間も越えて、
時空を超えた視点移動が繰り広げられておわる。
こんな小説があっていいのかと思った。


ぶっとんだといえば、
安部公房の『壁 - S・カルマ氏の犯罪』も、
いまごろになって読んで、静かにぶっとんだのだった。

壁 (新潮文庫)

壁 (新潮文庫)

六十年前にこんなにぶっとんだものが、
あったのかとぶっとんだったのだった。
最近、安部公房の初期の短編『天使』が発見されて、
今月の新潮に掲載されているらしい。
読んだ人によると「ちょっと頭が変になりそう」
とのことだった、きっとぶっとんでいるのだろうな。


とにかくこれらの作品のぶっとび具合に比べたら、
『突き抜け5』にぼくが書いたものは、ぶっとんでない。
ジャンプしたくらいになっている。でも前のより、
跳躍力が上がっている気がする。
もっと、肩の力を抜いて、ぶっとびたい。
それでいて、小説としての魅力のあるものにしたい。