まだ過去の日記を書き変えている。むかしの自分との対話。

過去の日記のよいところだけをまとめた
電子書籍「よりぬき しーなねこ」を作るために、
過去の日記を読み返し、読み変え、書き変えている。
ふつう、日記は書き変えるものではない。
けど、書き変えている。


一三年前のぼくの言葉を、いまのぼくが読むと、
「ああ、そういうことがあったね、
でもそれはもっとこう書いたほうが伝わるよ」
などと、ずいぶん偉そうなことを思ったりする。
一三年前の自分に対してだから許してほしい。
それから、いまだと書いたことにまつわる、
色々なエピソードや考えが浮かんできてしまって、
それを過去のぼくと相談して、
本来の意図からずれない範囲で、
書き加えたりしている。


そういうことをしていて気づいたのは、
この作業は一三年前のぼくとの対話だということ。
いまだと考え方からして変わっている部分も多い。
過去のぼくはそのままでいきたいと言う。けど、
「おいおい、そうはいうけど、一三年後になったら、
恥ずかしいよ、そんなこと書いてたら」
と書き変えようとするけど、ぎりぎりやめる。
そして、頭のなかで対話のようなことがされて、
とがっているけど丸いような、妙なところで落ちつける。
自分でも、よいのかよくないのか、わからない。


当初は一三年分を一冊にしようと思っていたのだけど、
そうすると数百枚になってしまって、書く方もだけど、
とくに読む人にとってもつらい体験になると思って、
百枚分に達したところで一冊にすることにした。
一日三枚ずつ書いている。
そもそも過去の日記があるのだから、
そんなにかかるはずないと思っていたのだけど、
さっきの対話をして読み変え書き変えしているので、
三日分の日記をまとめるのに一日かかっている。
三歩すすんで、二歩さがる。いつになるのだろう。

このりんご、超うまいです。


最近、なんだか忙しい。あくせくしている。
アイドルのひとが丸坊主になったらしい。
反省の証のようなものらしい。
ツイッターのタイムラインが、
この話題でいっぱいになったので認識した。
反応は憐れんだり憤ったり冗談をいったりさまざま。
思ったのは、丸坊主になることが効力を持つためには、
話題になることが不可欠で、
たとえば、ぼくが丸坊主になっても、
まったく話題にならないので、なんの効力もなく、
丸坊主になっても意味がないので、しない。
逆にいうと、アイドルが丸坊主になるのは、
もちろん意味があるからで、その意味や効力の形成には、
これを話題にするひとたちが携わっている。
となると、憐れんだり、同情したり、怒ったりしても、
じつはアイドルが坊主になったりする仕組作りの、
片棒を何千人のひとりとして人差し指で支えてるくらいの、
手伝いはしているような感じがして、なんだか、
複雑な気持ちになったのだけど、どうでしょう。