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複雑で呆然とする日々が送られています。三月。

今年に入ってから何か大きな壁が壊れたような、
底が抜けたかのような、決定的な勢いで、
その穴から覚悟もできないうちに、
様々な現象が流入してきて、
辺りの景色がガラッと変わりまた変わりという、
なんとも複雑で呆然とする日々が送られています。


そのうえ、もっともぼくの頭がおかしくなる春、
三月の季節の変わり目の影響で、神経が荒れて、
久々に不安な精神状態になったりしていました。
いまはだいぶ落ち着いています。



ぼくが前にすごく不安だったのは、七、八年前だと思います。
電車に乗るのも一苦労で、ホームでふいに気分がわるくなって、
薬を飲んで、品川の駅ビルのトイレに駆け込んで、
しばらくこもったりしていました。
どうしてあの頃はあんなに辛かったのかわかりません。
でも、いま振り返ると、あの頃があって、
本当によかったと思っています。



あの頃、ぼくは家に帰ると、
ずっと本を読んで日付が変わるまでに寝ていました。
本の読み方もすごく集中してメモをきちんと書いて、
学校の勉強のようにして、思想哲学とか仏教の本や、
小説を読んでは、思ったこと感じたことを残しました。
あの頃、理解した気になって読んでいた本が、
いま読むとさっぱりわからないのは不思議ですが、
特別な精神状態だったのだと思います。
朝も六時半くらいに目が覚めて、
本を読んだりしてから出社していました。
特別な精神状態でたくさん本を読むことが、
ぼくにとっての認知療法だったのだと思います。
考え方が静かにですが大きく変化して、
生きることについて少しだけ
見晴らしがよくなった気がしました。
そして不安時の対処法も学べたのが大きいです。



そんなことを考えた三月の夜なわけですが、
いまもあの頃ほどではないにせよ、不安が来ます。
ひどいのは体の内側から灼かれるような焦燥感が合わさった、
脳の後ろがしりしりする強烈な不安感ですが、
それは来る前にほとんど受け流せていますが、
やはりけっこう神経に来るものです。
それでも、しっかり呼吸をしてじっとしていると、
ふつうの不安感になって、いまは、
わるくない憂鬱に変わってきているように思います。



わるくない憂鬱は、ぼくは好きです。
辛いときは、桜が咲くみたいに、
何かが一斉に溢れだして成長するような、
いいときなのかもしれません。
なにを書いてるのかわからなくなってきましたが、
これを機にまた本を読んだり瞑想をしたいものです。
辛いときは、なぜかどこかうれしかったりもするのです。
ずいぶん、宇宙から遠くはなれてしまったものだと、
いまになって突然気がついたのでした。
複雑なのはぼくの我で、本質はシンプルなはず。
また一から修行のやり直しです。