ようやく三月がおわった。

ながかった、三月。
三月といえば、この曲。桜三月散歩道。

どうですか、この歌。
どうも、なにもあったもんじゃない。

どうしようもなくなる三月がようやくおわった、
のだけれども、激流の中でもまれる笹舟みたいで、
あまりしっかりとした記憶がありません。
桜がうわっと咲くエネルギーが神経に圧力をかけて、
ただただ、右往左往と縦軸の感情の起伏によって、
取り乱したツイートなどをして、
みなさんにかまってもらって救われたようになったり、
反対にぼくのような者が変に気を遣わせてしまって、
申し訳ないという気持ちになったりと複雑な日々でした。

まあ本当になにをやってもダメな日々というものがあるもので、
やることなすことが見事に裏目に出てそれを取り戻そうとして、
さらに失敗するというような流れでした。
そういうどうしようもない負の流れというものがある、
とは知っているつもりだった。だいぶ前に、
ほぼ日刊イトイ新聞糸井重里さんと明石家さんまさんが
対談をしていて、さんまさんがこんなことを言っていた。

ジョージ・フォアマン
モハメッド・アリが試合したときに
アリが言ったんですけど、
「わざとボディを打たせるんだ」と。
どういうことかというと、
「わざと打たせたボディは効かないんだ」
というんですね。

もう、流れが決まってるときは、
どうしようもないですから。
とくに、負けてるときはね、
もう、どうおさえるか、なんです。

これを読んでなるほどなと思っていたのだった。
ギャンブルでも株でも負けだすと、
負けを取り戻そうとして余計に失敗する。
どうにも抗えない、前に出れない時は、
わざと相手に打たせる、ちょっとだけ負ける。
ちょっとだけ、ちょっとだけ、わざと負けて、
流れが変わるのを待つしかない。
というのをね、肝に銘じたつもりだったんだけどね、
渦中にいるとそれのいかに困難であるかが分かりました。

楽しいことも、悲しいことも、
腹の立つことも、幸せだったことも、
言いたかったことも、言われたことも、
それらは感情を凝縮した果実のように
木にたわわに実っていて、
うまいものもまずいものも、うまければうまいで、
虚しい後味がするのだけれど、そのすべてを、
きちんともぎ取って、逃げずに、抑圧せずに、
味わって消化しないといけないと思って、
ああ、と、胸の奥の方でじんわり広がって消えていく、
さざなみであったり、脳の後ろのほうが痺れたり、
痛み、うろたえたり、ムッとしたり、さみしくなったり、
居ても立ってもいられないような大波も、
じっと呼吸をして観察していると無常で流れていく。
あるがままでいいんだ、と。逃げ道はない、
覚悟を決めるんだと悟りました。

別に死ぬわけではないのですが、
最近、死についてよく考えます。
深夜にぬるいお風呂に入っているときに、
自分の胸の肉と皮を手でぎゅっと握ってみる、
と、イトーヨーカドーとかで売っている、
鶏肉のような触感と色と見た目だったりする。
あと百年経ったらだれもいないんだなあと。
残りの人生をどう生きるか。あるがまま、無為に。
何も求めず、何も求められず、生きて死ぬ、それだけ。

まあ、そんなこと言いつつ、イースター
今年の生誕祭は三月三一日だったそうで、
ぼくは上のようなイースター・バニーのようになりました。
で、四月一日は、エイプリルフールということで、
会社の中でこんなことをしました。

世界初!頭に装着することで自動運転が可能に
MapFan ニューロン登場!

これは楽しかったなあ。
十年間会社に勤めてはじめて仕事にやりがいを感じた
というとあれですが、それくらいよかったです。


落ち込んでんだか、バカやってるのか、
よくわからないと思いますが、ぼくもわかりませんが、
生きています。今年はかつて言ってたように、
ブワーッとやって、カッ!カッ!と上がって突き抜けますよ。
みなさま、今年度もよろしくね。


あとリアル桃鉄の参加者募集も始めたから、
参加したい方は、こちらからお願いします。
5/18(土)ですよ。