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鼻血が出た。交流分析の本とか坐禅の本などを読んでる。

一対一の打ち合わせ中に鼻汁が垂れてきたと思ったら、
鼻血だった。少し出て、すぐに止まった。
喉が詰まる感じと、鼻が出る。
自律神経の乱れか、風邪気味なのだろうと思った。
ジムの帰り、夜道を歩いていたら鼻汁が。
と思ったけど、もしかしてまた鼻血ではないかと、
手の甲に付けて、iPhoneの明かりで、
それが鼻血ではないかと確認するぼくは、
とてもかわいそうな気がした。


新しい交流分析の実際―TA・ゲシュタルト療法の試み

新しい交流分析の実際―TA・ゲシュタルト療法の試み

川崎市立図書館で借りて読んでいるのだけど、
おどろくほど簡潔に人間同士の問題を、
シンプルな図とケースで分析・解説している。
親の期待による強制が子の反抗心を強めたり、
水掛け論で不快になってケンカ別れをするとか、
その仕組みと、建設的な対処法があって、
思わず、そうそうと膝を打つ。
複雑な問題がこれですべて解けるというほど、
万能でないことはもちろんだけど、
言ってることはよくわかる。というのも、
経験豊富な友人に人間関係の相談をしたときに、
もどってくるようなオトナな答えと、
本書に書かれていることが、かなり近いからで、
しかも論理的に筋道が書かれているから、
やっぱり納得してしまう。まだ第一章だけなのに。


これを読めば、
どうしてこのひとはこういう行動をするのだろうかとか、
ぼくのこの態度がそれを誘発したのではとか、
さらに深いところや裏に隠れていたかもしれない、
お互いの意識に上る前に潜む心理とかが、
推測できるとまではいわないでも、
混乱をある程度客観視して沈静化させるための、
効果的なツールにはなるはずだと思った。
それにしても、この交流分析にかかると、
心に傷を負うような大きなケンカや行き違いも、
「ゲーム」という名で対象化されていて、
そんなモデル化された古典的なゲームであっても、
打つ手を誤ってひとたびパニックになれば、
あっという間にゲームオーバーになって、
プレイヤーは人生を左右されるほどに、
簡単に心や生活は崩れる。脆いものなのだなと思った。

建設的でない交差的交流を避けるためには、
かねてから習慣化している反応様式を一時ストップして、
”間”をとることが原則です。”間”をおくと余裕ができ、
相手の誘いにのらぬ態勢ができやすくなります。
これはA(Adult:大人)の自我状態を
活用することを意味します。

ようやく

『呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想』を
読み終えた。厚めの単行本を、注意散漫というか、
つまみ食いするみたいにいろいろかじっていたので、
どれも読み切ることができなくて、
すこし心に引っかかりがあったのだけど、
きっちり読んですっきり達成感ができた。
『呼吸による癒し』は、なぜ呼吸なのかについては、
しっかり書いてあるのだけど、具体的に知りたければ、
下の本がとても詳しく書いてあった。

「自分」を浄化する坐禅入門[増補改訂版]

「自分」を浄化する坐禅入門[増補改訂版]

小池龍之介さんの本は『坊主失格』『沈黙入門』なども
読んだのだけど、力が抜けていてとてもおもしろかった。
とくに『坊主失格』は、問題だらけだった心が、
自然に変わっていくプロセスを丁寧に描いていて、
ああ、心というのはこうやって癒されていくのか、
ひとというのは、こう解放されていくのかと思った。


あとなんだ、この日記をご覧になっても
お分かりいただけるように、
ぼくは「おもしろくしよう」「笑わせよう」という気配が、
まーったくなくなっていることに気づいたのです。
かつてのぼくは、笑いに貪欲だった。
その貪欲さをいま、急に取り戻したくなって、
それしかないとすら、思い始めています。
だからなんだ、という話です。