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伊勢丹みたいなシャツと、自分の人生に責任を持つことについて。

生活

連休が明けて、すぐにエンジンがかかるだろう
と思っていたのだけど、さっぱりなまま金曜日。

仙台・宮城旅行で行った松島とか、
鹽竈(しおがま)神社とか、鳴子温泉についても、
書いておきたいと思っているのだけども、
本を読んだり運動してストレッチをしていると、
いつの間にか夜になっていて、寝てる。


最近、明るい色の服を着るようにしている。
この前は黄色いカーディガンを買った。
今日はこれを着た。

妹に「伊勢丹みたいだな」と言われた。
COWCOWか」とも。
明るい服を着ると、明るい気が出てくる。
伊勢丹の紙袋みたいな服を着て落ち込むというのは、
けっこう難しいんじゃないかと思う。


この頃よく思うのは「生き方」についてで、
ぼくがすごいなあと尊敬するひとは、
人生をかける題材を「これ」と決める覚悟をして、
脇目もふらず、打ち込み続けているように思う。
不安で腰が引けていたり、逃げることが少しでも頭にあると、
人生も逃げ腰になってしまう。
中途半端にやったら人間も中途半端で、
適当にやったら人間も適当なままで一生を終える。
きちんと「生きる」というのは、覚悟して打ち込んで、
それを通して心を成長させていくことなのかと思った。
で、生きていれば生きているほど、生き生きして、
自然に魅力的になってくる。そしたら、
婚活とかしなくてもよいのでしょうね。

というか、ふつう人間はそうやって、
生きていくものなのではないかと思った。
それがなぜかいろいろな原因でできなくなっている。

責任というのは、まさに英語の語源からして、
応答する能力、レスポンスのアビリティであり、
自分の反応を選ぶ能力である。神経症の人たちは、
プロジェクション(投射)やイントロジェクション(取り入れ)、
コンフルーエンス(融合)やリトロフレクション(反転)によって
自分を自分自身から切り離すのであるが、
そうすることによって、責任を逃れ、
かつまた、応答能力、選択の自由を放棄しているのである。


ゲシュタルト療法―その理論と実際 』
フレデリック・S. パールズ (著)

自分の人生に責任を持たないとなと思った。


よくわらかん、ねる!