やたらと眠くて疲れちゃいますよね。宇宙の流れに身をまかせたい。

六月になってからとくに眠い。
梅雨どきはいつもこうなるので、
一週間リフレッシュ休暇をとったのに、
まーだ、眠い。眠いし目が熱い、ふわーってなる。
たぶん、気圧の変動のせいだと思う。
春から夏への季節の変わり目で、気圧の上下が激しい。
ストレスになる。こういうのを気象病というらしい。


それから、決断をすると疲れるという記事を読んだ。
大きな決断だけではなくて、たとえば、
ランチを何にするかといった小さな決断でも、
たくさんすると疲れてくるそうだ。
今日は帰りに靴を買いに行った。
前々から買おう買おうと思いながら、
やっと決断して買いに行ったのだった。
で、買いに行ったら行ったで迷うというか、
迷うにしても絞り込むための小さな決断があるはずで、
何も考えられなくなり、靴の前で茫然としてしまった。
店員さんに話しかけられても、
「あー」とか「うー」しか出てこない。
結局、なんとなくいい感じがした気がするものを、
えい!と強引に決断して買った。

決断力ってマジックポイントみたいに、
使っただけ減っていくものなのだと思う。
で、ベギラマくらいの決断をするためには、
マジックポイントが、ある程度たまってないとできない。
今のぼくはメラを唱えるほどの決断力しかなくて、
日々、ひーひーなっている。
連休中に旅行できなかったのも決断できなかったからだ。
マジックポイントがないときに買った服って、
たいてい後になると着れなかったりするのも、
そういう理由なのかもしれない。
引越しとか転職とか結婚なんて、ベホマズンだ。
よっぽどレベルが高くて精神力に満ちあふれているときか、
そうでなければ、自暴自棄なときにしかできない。


それにしても、決断することは多いなと思っていた時に、
ほぼ日で糸井重里さんがこんなことを書いていた。

「両方だよ!」と、こころのなかで、叫ばせてほしい。
「両方なんだっつーの!」でもいい。
片方のことだけだと思ってちゃ、だめなんだよなぁ。

大人であることと、子どもであることも、
どちらかだけなんてことは、ありえない。
矛盾? してないよ。
たくさんの人びとが、どっちかに偏りすぎなんだよ。

正しいことのなかに、よくないことは含まれてるし、
よくないことのなかにも、正しいことは見つかるだろう。

「両方だよ!」と、思い出すこと。
いいところを見る、いいところを知る、そして使う。
どっちかだけだと思おうとするから、不自由になる。

AかBかみたいなとき、ぼくは偏りがちなので、
どっちかに心で決めてしまうことが多い。
「両方だ」と思うことは、決めることによるストレスを、
かるくしてくれるアイデアだと思う。
「決める」ってほどでもなくても、
これはいいなとか、いやだなと、無意識に判断してる。
そういうのがもう疲れてしまう原因なんだと思う。
決めなくていいんだ。喜怒哀楽みたいなものも、
そのどれかじゃなくて、混ざったままでいいのに、
楽しかった!とか思うから、あとから反動がくる。


瞑想のコツは「雑念だ!」とか「集中できない!」とか、
「呼吸が浅い!」とか「うまくいってる!」とか考えずに、
ただただ観察することだ。そのままを受け入れること。
宇宙の流れに身をまかせて、ポイントを使わず、
判断せず、物事を自然に進めるようにしていきたい。
ということをすでに決定している、ぼくがいる。