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連休中のこと。

九連休だったのだけど、基本的に家にいて寝ていた。
旅行へは行かなかった。出かけるのも疲れてしまう。
明け方まで読書をして昼まで眠って、喫茶店へ行き、
夕方にジムで運動。よろよろ家に帰ってくる。
体と神経を充分に休ませることができた。
http://instagram.com/p/lZCXeBCwgw/
毎日、何かしら送られてきた。
amazonに注文した本や、友人からのプレゼントや、
エクストリーム出社が特集された掲載誌など。
それらを机の上に置いて、昼寝の合間に見たり、
お返事を書いたりしてすごした。


以前に名古屋や東京でお会いしたKさんが、
手作りの本を送ってくださったのだった。
製本をご自身で手がけた限定十冊のうちのひとつ。
手作りの本を手にするのは初めてだったのだけど、
本の各所に込められている念のようなものの、
総合的なエネルギーが両手の中で膨らんで、
やさしく、背筋が伸びる感じがした。
http://instagram.com/p/lcrsMcCwgs/
収められている小説もおもしろく、
内容が本そのものとリンクして感動して、
とても励みになったのだった。

3月13日(木)

船橋を散歩した。
円形の道路があるというので歩いてみたのだ。
そのあと神保町まで移動して、古書店を廻って、
欲しかった本を手に入れた。
http://instagram.com/p/lehsNKiwtQ/
帰宅ラッシュになる前に家に帰った。
しばらくすると嵐になった。強い雨と風。
この日は両親が旅行に出ていて、ぼくと妹だけだったので、
宅配寿司を注文したのだった。嵐なので気が引けた。
約十五分でインターホンが鳴ってドアを開けると、
高校卒業したぐらいの女の子が、
びしょ濡れのカッパで立っていて、
かわいそう! と思ったけど、声はとても元気で、
「こちらサービスの粗汁です!」
と言って、ポーチからビニールでぐるぐる巻きにした、
カップを慎重に取り出してくれた。
魔女の宅急便がオーバーラップして、
少女が去ったあとも、暗い玄関の冷たいドアに向かって、
しばらく茫然としていた。
粗汁を取り出すときの、ぼくの目など気にせずに、
真剣に俯く女の子の頬ぺたの赤さが印象に残って、
よりによって極上寿司かよ! と思った。
http://instagram.com/p/lescqCCwln/
超うまかった……。

3月14日(金)

会社へ少しだけ行った。
今年のホワイトデー担当だったのだ。
同僚の女性社員に、グループの男性たちを代表して、
お菓子のお礼をするので、
前日の晩にクッキーを七十枚焼いて、
十二枚ずつ袋詰めして持って行った。
クッキーを置いてすぐに去った。
http://instagram.com/p/lfOQxxCwqW/
会社を出て、とくにすることがなかったので、
京急の大師線で川崎大師へ行ってお詣りした。
そのあと、家の近所の公園のベンチに腰を下ろした。
喉が少しかわいていたのだけど、自販機で売っているのは、
甘すぎたり、冷たすぎたり、濃すぎたりして飲む気がしない。
気持ちにいちばん寄り添ってくれそうな飲みものは、
白湯だったのだけど売っていないので、あきらめて帰った。
http://instagram.com/p/lglA-wiwoO/

3月15日(土)

YUさんがアンディ・ウォーホル展の
チケットをくれるというので森美術館へ出かけた。
その前にワタリウム美術館へも行ったのだった。
http://instagram.com/p/llvDXyiwsp/
齋藤陽道さんの写真展。この日が最終日だった。
齋藤さんの写真は、どれも愛おしいものだった。
それでいて、切なくて、さみしい感じもしていた。
齋藤さんは耳が聴こえないそうだ。
美しい楽器の写真、演奏する人の写真などもあった。
音を聴くことができない人にとっての楽器は、
音を聴くことができるぼくにとっての何だろうと思った。
たとえば、味わったことのない食べものの写真?
かと思ったけど、それは違う、味覚があるから。
聴覚がない人にとっての音って、
霊感がない人にとっての霊みたいなものかもしれない。
霊はあるかないかわからないけど、音はあるのだから、
あるものがないことになるということは、
どんな感じなのだろうと思って写真を見た。


ぼくがいちばんぐっときたのは、
五歳くらいの女の子が飴を舐めている口を開けている写真。
彼女の柔らかいからだや、それを包むやわらかい服、
甘いと感じているであろう味覚、
作者には聴こえないはずの音などすべて、
いま・ここが全力で愛しく思えてくるのだった。
そして瞬間や生命ってとても儚くて、
ふよふよしていて、輝いている。
齋藤さんの言葉が壁に書いてあって、
そこにあった「黄金の光に向かうシャボン玉」というのは、
ああ、これのことなのかなと思った。


そのあと、森美術館でアンディ・ウォーホル展。
こちらはすごい混雑で、ゆっくり見れる感じではなかった。
アンディ・ウォーホルが書いた本、
『ぼくの哲学』を事前に読んでいたこともあって、
なるほどなあと思って見た。さみしさをたくさん感じた。
さみしさや虚しさが広く蔓延したから、
ポップがそれになったのだろうなと思った。
facebookやTwitterでパーティーの様子を公開して、
コピーが可能な写真を大量に流しまくっている。
ブログに自分の生活を書いて切り売りする。
ウォーホルのやっていたことが、
より強く浸透して一般化してるようだと思った。


五反田の居酒屋「それがし」で、
つしまさんと合流して日本酒を飲む。飲みすぎる。
西小山へタクシーで移動して、YUさん行きつけの店で、
うまい担々麺を食べて帰った。

3月16日(日)

ぐったりしてすごす。
原稿を書き終えて、ジムへ行って運動。
http://instagram.com/p/lmg0M1CwuF/


食べすぎだとわかっているのに食べて、
運動もしないでいると肥満になって、
具合がわるくなってよくない。
ということはわかるのだけれど、
何かを書いたり作ったり、アウトプットをしないで、
本を読んだり、映画を見たり、展示を見に行ったり、
インプットを続けてしまうことについては、
よくないと感じていなかったと思った。


体と同じく、頭も肥満するのだろうか。
インプットしたものはきちんと消化して、
食べた分は運動でカロリーを消費するみたいに、
汗をかいて何かしらの形にアウトプットするのが、
自然なのだろうなと思った。


食べものや、情報にかぎらず、愛情もそうだと思う。
自分からも対象を定めて愛していかないと、
愛情の肥満のようになる気がしている。
足りているのに、愛を貪っていると、
愛の循環のさせ方がわからなくなる。
そんな気がしている。
体を動かそう、頭を動かそう、心を動かそう。


http://instagram.com/p/lhepo6Cwq0/