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3月後半の日記。今年の3月はそれほどひどくなかった。

最近、文章をよく書いている。
会社で特集記事を書いたり、メルマガを書いたり、
コードも書いたりしている。
家では、エクストリーム出社の原稿を書いたり、
文学フリマに向けて小説を書いたり、この日記も。
公私ともに書いている。書くのは楽しい。
自分なりにうまく書けるとうれしい。

3月21日(金・祝)

長く遊んでもらっている友人の
kasahiさんと春昆布さんの結婚式があった。
恵比寿のウェスティンホテル東京。
披露宴会場には百人を超える人がいて密度が高く、
陽性のエネルギーが溢れる素敵な空間だった。
ご親族と会社関係の方と学生時代のお友達が、
新郎新婦それぞれで大きなグループになっていて、
そこに第三の勢力という感じで、へもいっ子たちがいた。
http://instagram.com/p/l0AKNpiwoT/
新郎側の人たちも、新婦側の人たちも、
あの団体は何なんだろうと思っていたのではないか。
それくらいいた。中央にいた。だけど、
「新郎新婦はへもいっ子クラブのメンバーでして」
などと言ったら、親族の方々に
上京しておかしな新興宗教にはまってしまったのでは
と、しなくていい心配をさせてしまってはあれなので、
じっとしてお祝いしていて正解だったと思う。
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ふたりの証明書を掲げるぼく


やさしくて、おもしろくて、ふたりとも大好きです。
ふたりに笑ってもらえるのがなによりうれしいのです。
これからもずっとお幸せに。

3月22日(土)

円城塔さんと川田十夢さんのトークイベントへ行った。
日本近代文学館。駒場東大前から歩いた駒場公園の中にある。
http://instagram.com/p/l7Pm2wCwoY/
イベントは『超発明』という本の復刻記念だった。

超発明: 創造力への挑戦 (ちくま文庫)

超発明: 創造力への挑戦 (ちくま文庫)

復刻される前は1971年に発行されていて、
抽象的だったり哲学的だったりして現実離れした発明品の数々が、
真鍋博さんのイラストと文章で美しくおもしろく描かれている。
「三次元鉛筆」「移動眼球」「四角い卵」といった、
実現は無理そうな空想の発明品ばかりなのだけど、
発行から40年経って、実現化されているものもある。
道端ですれ違った人の顔などすべてを自動的に記録する
「ダイアリー・メモランダム」はライフログみたいだし、
「耳栓ろ過器」はノイズキャンセリングだし、
走った後に道ができる自動車「道路自動車」は、
カーナビの道路ネットワークを作るときの
手法みたいに思えたのだった。だから、
現実的なドラえもんひみつ道具事典といった感じ。
で、長く絶版になっていて古本で1万円超していたのが、
ちくま文庫で復刻されて740円だったので買った。
http://instagram.com/p/l7PgNlCwoQ/
本もおもしろかったのだけど、トークもおもしろかった。
小説家とARの開発者がお互いに質問をぶつけあって、
それに答えるスタイルでエキサイティングだった。
メモしたことを適当に書く。

・耳なし芳一はAR
 般若心経という無を表すコードは霊から見ると透明になる
・現実を受け入れるようになって悪夢を見なくなった
・スタンド(ジョジョの奇妙な冒険)は小説で書けない
 マンガ固有の表現なので受け入れられる(土台作り)までに
 時間がかかる。土台作りの功績。
・小説は書かなくていいものがある
 あとから設定を足したり、時系列を変えたり、
 小説にしかできないことがある。
・豪華客船につけられている気がする
・人間という実行系が抽象的なので複雑なものはできない
・GoogleMapのようなレイヤーで構成された小説
・自分が出てくる映像を何度も見せられると
 偽の記憶が作られる。
・自分の頭をあけてみて、脳みそがなかったら驚きますか?
・作為に付き合うのに疲れてきた。
・人間とはどこまで人間なのか、境界はどこまでか

こうして書くとよくわからないけど、意識や現実が、
ガタガタと音を立てて拡張されたように感じた。
しばらく言葉がでなかった。家に帰って昼寝して起きたら、
駒場公園も近代文学館もふわーっとした印象で、
夢だったような気がした。


偏愛文学館 (講談社文庫)

偏愛文学館 (講談社文庫)

倉橋由美子さん『偏愛文学館』を読んだ。
著者が愛した作品を美しく紹介していて、
例えが鍋や珍味や一品料理お酒の香りや味など味覚的で、
小説家の特技や背景など美食のお品書きみたいな本だった。
好きな小説がいくつか入っていたので、
並んでいるもの全部読みたくなったけど、
情報で太りそうだと思った。
私の名前は、高城剛。住所不定、職業不明

私の名前は、高城剛。住所不定、職業不明

情報で太りそうと思ったのは、この本で、
「情報デブ」「情報ダイエット」といった言葉を
目にしたからだった。高城剛さんの本には、
未来のことが書いてあるのでおもしろい。
価値観がぜんぜん違うし、その価値観に、
世の中が移行しつつあることもなんとなく感じる。
なんとなく感じていることがズバリ書いてあるから、
痛快なんだろうなと思った。もっと読みたい。

3月26日(水)

会社の同期のTさんの送別会があった。
川崎の鳥料理屋さんで、10人ほどで飲んだ。
ご家族が体調を崩され、実家へ帰って支えるとのことで、
いろいろなことが問題なくうまくいきますようにと思った。
転職をするから辞めるというのと違って、さみしいけど、
Tさんは誠実で技術があって、なにより親切で優しいので、
うまくいってほしいと思った。祈っています。

3月28日(金)

以前に取材を受けたフリーマガジンの
『HOT PEPPER』4月号が発行された。
http://instagram.com/p/mKI8pYCwlN/
自分でもおどろくような笑顔をしている。
文は石原たきびさんで、撮影は富井昌弘さんで、
撮影のときは、リクルートの編集者の方もみなさんで、
大田市場に行ったのだった。それがとても楽しくて、
このような全開の笑顔になったのだった。
「エクストリーム・スマイル」と言ってくださった
富井さんはどんなお仕事をされているのだろうと、
検索したら「小栗旬ファースト写真集」がヒットして、
マジパないと思った。

3月29日(土)

去年も誘っていただいた高架橋脚とかを
眺めながら歩く人たちのお花見に行ったのだった。
http://instagram.com/p/mHcRVPiwst/
大船のフラワーセンターというところ。
桜は咲いていなかったけど、いろんな種類の花が、
見頃を迎えていてとても美しかった。
レジャーシートを敷いて各自持ち寄ったものを食べた。
1時間ほどしてトイレに立って園内をふらふら歩いていたら、
木蓮を見上げているおばあさんがいた。
散歩には大げさなハイキングのような格好で、
白いソフト帽をかぶっていた。何人かで来たのか、
ひとりで来たのかわからないけど、
静かに木蓮を見上げているおばあさんを見ていたら、
鼻の奥がツンとした。


鳩のマスクを持ってきた人がいて、菜の花の前で撮影会をした。
http://instagram.com/p/mHiJB5iwhb/
みなさん、陽気でおもしろくて、
しみじみ楽しかった。来てよかったと思った。
家に帰って水彩画を描いた。
http://instagram.com/p/mIJhbhCwlr/

3月31日(月)

笑っていいともが最終回だった。
テレフォンショッキングに出るのが夢だったのだけど、
叶わないまま終わってしまった。
タモリさんにもっとも近づけたのは、
5年前の「夏のそっくりさんコンテスト」で、
そっくりさんを紹介する人として、
フリップを持ってアルタの舞台に出たときだった。
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メインは松坂大輔にそっくりな後輩なのだけど、
ぼくが扉を開けて舞台に出たときに、
「おお!?」
とタモリさんが言って、
変なやつが出てきたぞみたいな感じで、
サングラス越しのやさしい目で、
ぼくのことをおかしそうに見てくれたのが大変な感動で、
関根さんがぼくに付けてくださった
「2時間おきに目が覚めます」
というキャッチフレーズがほとんど耳に入らないくらい、
感動したのだった。


31日のグランドフィナーレを見て、
タモリさんの最後の挨拶を書き起こした。

出演者、スタッフのおかげで32年間、無事やることができまして、
まだ感慨というのがまだないんですよね。
ちょっとホッとしただけで、
来週の火曜日ぐらいから来るんじゃないかと思います。
もう明日もアルタに行かなきゃなりません。
楽屋の整理があります。私物がいっぱい置いてありますので。

みなさんのおかげで本当にここまでくることができました。
まー、考えてみれば、あのー、気持ちのわるい男でしてね。
こういう番組であの以前の私の姿を見るのは私大嫌いなんですよね。
なんか、こう気持ちがわるい。この……、濡れたシメジみたいな感じ。
なんかこう、いやーな、この、ぬめーっとしたようなあの感じで、
本当に嫌でして、私いまだに自分の番組見ません。

またそれで、性格が当時ひねくれておりましてね、
不遜で、生意気で、世の中舐めくさってたんですね。
そのくせ何にもやったことないんですけども。
これがどうしたわけか、初代の、亡くなられました、
横澤プロデューサーから仰せつかりまして、
ま、だいたい3ヶ月か半年ぐらいで終わるんじゃないか
と思ってたところが、この32年になりまして。
まあ生意気なことでやってたんですけども、
その長い間に視聴者の皆様方がいろんなシチュエーション、
いろんな状況、いろんな思いで、ずーっと見てきていただいたのが、
こっちに伝わりまして、私も変わりまして、
なんとなくタレントとして形を成したということなんです。

で、皆様方、視聴者の皆様方から、
私にたくさんの価値を付けていただき、またこのみすぼらしい身に、
たくさんのきれいな衣装を着せていただきました。
そして今日ここで皆様方に直接お礼を言う
機会がありましたことを感謝したいと思います。
32年間、本当にありがとうございました。お世話になりました。

この挨拶を聞いて思ったのは、笑っていいともは、
タモリさんの成長物語だったのだなということだ。
赤塚不二夫さんの「これでいいのだ」という肯定の言葉が、
自分に言い聞かせるタイプのものだとしたら、
「いいとも」は、自分だけではなく、
相手に対して呼びかけるタイプの肯定の言葉で、
そこには次元が増えるくらいの大きな上昇があると思った。
"不遜で、生意気で、世の中舐めくさってた"状態から、
視聴者からのたくさんの肯定の「いいとも」という呼びかけ、
つまり愛を受け取り、それを循環させ、タモリさんは変わり、
いまのような穏やかで立派な感じの人になったのだなと。
その成長物語を毎日、月~金と増刊号で繰り返し見ることで、
視聴者も知らず知らずに成長してきたのではないだろうか。


いいともは終わってしまったけど、
まだタモリ倶楽部があるので諦めずにがんばろう。