満月が近いではないか。

恋をするというのは、その恋をした相手の情報中毒というか、
情報に依存している状態なのではないでしょうか。需要と供給。
需要と供給のバランスで、ビジネスも、恋愛も、
企業は顧客を操り、アーティストはファンを操るのでしょうか。




情報の交換

自分が10の価値のモノを与えて、1しか返ってこなかったり、
自分には1しかくれないのに、他の人に3とか4とかばら撒いてると、
あれですが、特に恋愛的なあれに関しては、
これは依存症で、変になった認知によるものではなかろうか。
本当は、1も10もなく、等しくゼロなのだ。


自分が10の価値のモノを与えたら、20返ってきて、
さらに20に10プラスして出したら、50になって返ってきたら、
ラブ情報の拡大再生産。根拠なき熱狂、ラブバブル。
なるほど、それが両思いというのでしょうか。


情報依存症の状態から立ち戻るためには、
ニコチンやアルコールと同様に、情報を絶つのがよいかと思われます。
そして、正しい認知をできるようにする。
正しい認知ができないと、薬が欲し過ぎて、方外なお金を払ったり、
お酒がなくなって、料理酒を飲んだりといったことになるので、
気をつけねばならぬ。



よくわからない。

「この行動は、すなわち、ああいう情報だ」
という具合に、変換のパターンがある程度決まっているので、
心から自然に発動した行動からの情報と、
本意ではないが、こういう状態にしようという
目論見によって出た行動からの情報と、区別が付かない。
依存症時は飢えているのでなおさら区別が付かない。


そうやって、供給側は、情報を加工したり、
量を調節したりして、相手をコントロールする。
情報が、明確にラブ的な値を示せればあれですが、
そうではないので、脳が勝手に、解釈したいように解釈する。


解釈の差が、だんだん大きくなって、
ある時、唐突に、上ってきたハシゴが消えたような、
あれになるのが、おそろしい。
僕は、誰も好きになれないので、依存症にはならないのですが、
それはとても悲しい。誰かを依存状態にしてしまうのも苦しい。
どうしたいのか、わかりませんが、
とりあえず、なんというか、
さみしいのだ。