阿藤智恵さんが作・演出の舞台『ささくれリア王』を観に、
下北沢「ザ・スズナリ」へ、イッセイ氏と行きました。
千秋楽の最後の公演で、劇場は満員でした。
席は舞台真正面の、前から2段目の最高の席でした。
15時を5分ほど過ぎた頃に開演しました。
あらすじは、「ささくれ団」という弱小劇団が、
10周年記念公演で『リア王』をやることにしたのですが、
本番1ヶ月前に主役が突然降りてしまい、
中止や解散まで考えられたのですが、なんとかやりたいということで、
「ささくれ団」に稽古場を提供している、
運送会社の会長(隠居状態)を主役にして、
いろいろあるというものでした。
作品冒頭、
明け方の倉庫の中で会長がひとり、リア王の台詞を呟くのですが、
そこからもう、この世界の匂いがしました。
「俺は、誰だ?」
この台詞が出たとき、ゾクゾクして、なるほどと、
「俺は、誰だ?」がテーマとして、ガツンと叩き込まれました。
前回、拝見した『しあわせな男』という阿藤さんの不条理劇も、
個人の属性が、その人を「その人」として存在させていて、
属性が取り払われると、存在が危うくなるということが、
根底にあった作品だと思うのですが、
今回も、その「属性」と「存在」の関係を強く感じました。
これを不条理劇でやらずに、ドタバタ的なコメディで、
楽しく実現されているのがすごいと思いました。
阿藤さんは、ご自身の作品を「不思議系」と、
「ホームコメディ系(?)」のような分け方をされていて、
それは昨年送って頂いた戯曲『セゾン・ド・メゾン〜メゾン・ド・セゾン』と
『中二階な人々』のようなタイプの違いだと思うのですが、
『ささくれリア王』は、その二つの要素が融合されているような、
そんな気がしました。どうなんでしょう。
会長(リア王)には
娘がいて、親子関係があり、
ささくれ団の座長には、娘が産まれ、親子関係が新規にできて、
恋愛中の劇団員もいれば、結婚する劇団員もいて、
様々な「関係」が存在している。
また、それぞれのメンバーには「役」があって、
それは芝居の役(リア王とか)と、芝居以外の役(親とか子とか)で、
「関係」と「役」が、現実と幻想(生活と舞台)を中心に、
パラレルにシンクロして、それがとてもおもしろくて、
物語の力になっているのだと思いました。
あと、役は舞台にあってこそ存在して生きるのであって、
リア王は死ぬけど、死んだように生気を失って生活をしていた男は、
現実で生き生きしてくるし、そうなってくると、
日常生活という舞台でも、元気になってくるような
状態の変化も感動的でした。
それで、僕は
冒頭の「俺は、誰だ?」がずっと頭から離れなくて、
そこからずっと1時間くらい、めそめそ泣いていた気がします。
「泣けたらいい作品」みたいな風潮がありますけど、
僕はそうは思わないのですが、「俺は、誰だ?」というのが、
あまりにも強くて、それが根底にあると、ありとあらゆる立振舞いが、
健気で美しかったり、つらく苦しく見えたりして、涙が出てくる。
でも作品は、おもしろくて笑ってしまうところが、とても多くて、
泣いてるのに笑ってと、鼻は出るし、ぐちゃぐちゃになりました。
あと、台詞の多くが、思い当たることばかりというのもありました。
阿藤さんは、普段からよほど突き詰めて考えてらっしゃるのだなと、
その突き詰めのプロセスのすべてが、ひと言ひと言に圧縮されてるから、
僕の中のそれが解凍されて、泣いちゃう。
ラストも感動的でした。生と死を、舞台と現実で、関係と役割で、
時間の中で縦横無尽に行き来して、それは輪廻転生で、
そんな宇宙を、おもしろおかしく見せれてしまう。
あの時間帯の、下北沢のスズナリという劇場でだけ、
そんなとんでもないことが起きていたのです。
ほんと、おもしろかったです。
素晴らしい作品を、ありがとうございました。