おでこをぶつけた話、貧乏神Tシャツ交換会。

そうでした、昨日の明け方。
地震予測で携帯が振動して、ブルブルなったので、
ああ、地震が起きるのか、本棚から物が落ちて、
頭でも打ったりしたら、たまらないなと思って、
勢いを付けて、わっと起きて居間まで行きました。


居間でテレビを見ると、地震予測は誤報だったみたいで、
なあんだと思って時計を見たら、まだ7時前でした。
いつもは9時ごろまで寝ているのです。


もうひと眠りしようと、携帯を持って、
自分の部屋に戻ろうとしたときでした。


開けっ放しになっていたドアで、頭を強く打ち、
ドアが、




グァウィィイン!!




と細かく振動して、
額に小さなこぶができました。


こういうことって、あるよね。



どなたか僕と付き合ってみませんか企画

というのを考えて、誰かと1ヶ月間限定で、
お付き合いさせてもらって、1年で12人。
一体どうなるのだろうか、愛とは何だと、体当たりで、
そんな企画をやろうとして
おおむね興味を持ってもらえたのですが、



「いくらネタとはいえ・・・
いつかこのことを恥ずかしいと思える日はくるのかな?」


というコメントを、誰か分からない方から頂いて、
キーッ!となって、へこみました。
僕は傷つきやすいのです。


けど、その直後にYUさんが、
タイムリーにこんな記事を教えてくださって、
僕の直感は間違っていなかったと思いました。


「完ぺきな相手探すなら12人と交際を、豪数学者が指南」


やっぱり続けます。
ところで、恥ずかしさについてなのですが、
音楽家の久石譲さんの本に、こんなことが書いてあったのです。
久石さんが、韓流のストレートなメロドラマを観て聞いて、
「うわーっ、こんな恥ずかしいことをよくやるよなあ」
と思ったというときの話です。



しかし、考えてみれば
「通俗的で恥ずかしい。こんなことは僕にはできない」
と思うこと自体、なにか高みに立って
見下ろしているような目線ではないか。
「こんなことは僕にはできない」
と思うことは、それこそ自分の中で勝手に
自分を規制していることに他ならない。
(中略)
恥ずかしさというのは、
自分をよく見せたいと思う心の裏返しだ。
自分をさらけ出すことを怖れているということでもある。
頭の中にそんな自意識があったのでは、本当に人を楽しませたり
喜ばせたりするものをつくることはできないだろう。


なんだか、なるほどなあと思ったのです。
が、これとは違うか。



ということで、



この夏、もっとも恥ずかしいイベント。
「リアル桃鉄2009」が土曜日に開催されます。
今日は、ゲーム中で使用する「貧乏神Tシャツ」の交換会が、
目黒の居酒屋よしで開催されました。


16人集まって、16枚の、
いかれたTシャツが勢揃いして、あみだくじで配布されました。
僕には、イガラシイッセイ氏が作った
鈴とゴム手袋が縫い付けられた、
ノースリーブの不気味なシャツが当たりました。



今年も本番中は、「特設ブログ」がありますので、
そちらをご覧ください。
8チームがリアルタイムで更新していきますので、
かなりの頻度でアップされると思います。


あと、今年は1組除いて、
すべて男女ペアになっているのです。
ついに僕もペアでの参戦となりました。
相手は、女忍者のhassyさんです。
僕らは、余裕で勝てる気がします。
おもしろさと、勝ちの両方取りたいと思います。