雑記。

今日は、日記に書こうと思っていたことや、
生活に関する覚え書を記したいと思います。




メモ1

作品は、作家がエンコードされたもので、
鑑賞者は、作品をデコードして、作家本人や、
さらには作家が知覚して解釈した宇宙を見る。


同じように、宇宙をエンコードしたものが作家なら、
作品には無数の符号化の連鎖が含まれていて、
その符号化の螺旋構造のようなものの中に、
自然法則との一致とかを見出したとき、
それが鍵になって、すべてが瞬時にデコードされて、
ダムが決壊したように、膨大な情報が
鑑賞者の脳に直接流れ込み、爆発的な力で、
破壊や創造をもたらすのではないだろうかなあ。


作品の対価は、そういう宇宙的なものの総量とか、
そのために費やした時間を買うという意味において、
支払われるのではないだろうか。予想ですが。



メモ2

おもしろから手を抜かない。
自己批評。
考え続ける。



メモ3

DPZに足りないもの。
「恋愛」と「スピリチュアル」



メモ4

「言い訳」のことを考えると、
大学時代のK助教授のことを思い出す。


K助教授のシステムダイナミクスの講義のとき、
すごい早さでOHPのシートをめくっていき、
しかも話すスピードも早いので、メモも取れないし、
話も聞き取れないしで、教室が騒然となったのでした。
何回目かの講義のとき、ついに受講生のひとりが、
「これでは全然わかりません、なんとかしてください」
と苦情を言ったら、
「君らでなんとかしなさい」
と言われたのでした。


OHPや板書はデジカメで撮ればいいし、
声はICレコーダーで録音すればいいし、
君らで2、3人でチームを作って、
作業を分担してやることだってできる。
他の方法でもいいから、できる方法を考えなさい。
合格点さえ取れば、講義に出なくてもいい。
ということでした。なるほどなあと思ったのですが、
学生はみんな怒ってました。


1年生のとき、K助教授がレポートを回収したときは、
レポートをすべて束ねてから、机の上でトントンとやって、
定形外の紙に書いたものは、束からひらひらと床に落ちるので
それをそのまま捨てて帰って、学生を怒らせていましたが、
僕は、




「カッコいい!」




と思ったのでした。
それで、3年生になったときに、
研究室を選ぶことになったのですが、
K助教授のところを第1希望で選んだのは僕だけで、
僕以外の6人は、その他の第2希望まで落ちて、
渋々来た人たちでした。それでも最後は、
「ここでよかった」とみんな言っていました。


何かできないときに、時間がないとか、
忙しいとか、疲れたと言い訳をしそうになるのですが、
先生の言葉を思い出して、自分が工夫しきれていない、
または根本的に間違っているかもしれない、
最適と思われる経路を、不安などからわざと避けている、
自分に責任があると思うのでした。
言い訳をして、人や環境のせいにして怒るのだけはしたくないと
思えるようにしてくれたことを、最近、よく思い出します。



結局、

いつもの日記になっていました。