ここ二日間のこと。水浸し。三日月。

風邪の具合は峠を越したものの、依然として調子が悪く、
鼻は出るは、咳をすれば痰が絡むは、今朝はめまいがした。
このめまいは、風邪とは関係ない。
毎年、めまいがする時期があって、これはどちらかというと、
精神的な影響によるもので、一週間くらいして、
忘れた頃には治っている種類のものである。
なので、あまり気にしないことにして、ふらふらしながら家を出た。


朝の東海道線の上りは、馬鹿みたいに混んでいる。
今朝は戸塚から横浜まで、吐く息で曇った窓の際に押しやられつつ、
なんとか我慢したが、横浜駅での乗降客のうねるような出入りで、
ぐいぐいと車内の中央に、もみくちゃに押し込められると、
右も左も鼠色、不機嫌な人間の顔、顔、顔、息、息、息で、
動悸がにわかに激しくなり、目が白黒してきた。
間もなくドアーが閉まりますという放送の直後の発車の間際、
嗚呼!もう嫌だ!と焦燥と不安に駆られて、
居ても立ってもいられなくなり、
「ちょっとすみません」と身をよじりながら、
這々の体でドアーから駆け降り下車をしたのだった。


斯くの如き、軽めのパニック障害的なことはままある。
これを失敗体験として重大事として捉えてしまうと、
私は、次の乗車がまた厄介なことになるような、
非常に繊細な神経の持ち主なのである。
軟弱で、こんな満員電車ひとつ乗れなくてどうすると、
以前は自分を追い詰めたこともあったが、今となっては、
こんな馬鹿げた満員電車に、さも当たり前のように、
何の疑いもなく乗っていられる方が精神的にどうかしている、
皆、早く目を覚ませ!と思っている。
一説によると、日本の満員電車におけるストレスは、
戦場におけるストレスと同等、またはそれ以上らしい。


それはそうと、気を取り直して、京浜東北線で行くことにした。
すぐに水色のラインの電車が滑るようにやって来てドアーが開くと、
なんと空席がちらほらあり、私は楽に座ることが出来た。
一体、何だったのだ、あの東海道線の混み具合は。
東海道線に乗ることによる利が、余程大きいのだろうか。
となると、この京浜東北線は、東海道線に比べて、
何倍も時間がかかるということなのだろうかと危惧したが、
実質四分ほどの差しかなかった。私は今後京浜東北線を使う!


まあこれが今朝の、暗くなった出来事の一つであったのだが、
もうひとつさらに惨めな出来事が、昨日の朝あったのだ。
いつものように会社へ行くために家を出て、
階段を上がって五分ほど歩いた頃に、右の足に冷たさを覚えた。
見るとズボンが黒々と濡れている。おや、なんだと触ってみると、
かなりぐっしょりと濡れている。これは只事でないぞと、
原因を探ると私の鞄がその元で、革鞄の中に、
大量の水が溜まっていた。これがぼたぼた漏れ出ていたのだ。
つまり、水筒の蓋が外れていたのである。


私は三十一歳になるが、今も実家で暮らしており、
水筒を台所に置いておくと、
母親が水を入れておいてくれる仕組みになっているのだが、
その水筒の蓋が、しっかり締まっていなかったのだ。
水筒はスターバックスで買った五百ミリは入る大きなもので、
私の革鞄は、砂漠の民が携える動物の臓器を加工して造った
水袋のように、たっぷんたっぷんになっていた。
iPadが壊れることが心配されたが、別のポケットにあったため、
危うくも難を逃れたが、一緒に入っていた文庫、
太宰治の『斜陽』と、芥川龍之介の『河童・或阿呆の一生』が、
水を存分に吸ってひたひたになり、変色していた。
ただでさえ憂鬱になる内容で、しかもどちらの作者も、
自害して果てているという、究極にメランコリックな二冊の文庫が
水浸しになる憂鬱と云ったらもう……。


この時は、もう、すべてが嫌になり、
嗚呼、私が斜陽だ、人間失格だ、グッド・バイしたろか!
という自棄な気持ちになりかけたが、
いったん落ち着いて、鞄を逆さにして、ざばざばと水を道に捨てた。
これをしていると、鞄に大量の水を注ぎ込んで、
逆さにしても全く濡れてませんという手品があったが、
あれを完璧に失敗したような気持ちになった。


そんなことがあり、ここ最近は、気が滅入っていたのだが、
今日の帰り道のことだった。
綺麗な三日月が浮かんでいて、マンションの脇を歩いていると、
向かいから、三歳くらいの幼児と母親が歩いてきた。
幼児は、猿の顔が描かれた毛糸の帽子を被り、
同じく毛糸の服を、何枚も重ね着して丸々していて、
どこかに鈴が付いているらしく、
よたよた歩くとシャンシャンという音がした。


母親と幼児は横に並んで歩いていたが、
幼児が私の方に向かってやって来て、
私の顔を見上げてピタリと立ち止まると、
突然、くるりと後ろを向き直って、てっくてっくと走りだした。
母親からどんどん離れて行くので、
「どこいくの!?」
と言われてもお構いなしでシャンシャン走り続ける。
私は、進行方向がそちらだったのと、
幼児が走る速度が、私の歩く速度とほとんど同じだったので、
幼児に導かれるような格好になった。
幼児は十メートルほど走ったところで、急に横に移動すると、
くるりと振り返って、また私の方を見上げた。
幼児の足元には、文庫本二冊分くらいの深さの溝があった。
幼児は私に少し笑いかけると、その溝の中を、
一生懸命にちょこちょこと歩き出した。
これがしたかったのだ。


わざわざ途中で止まって、
逆戻りして、溝の中を歩き直す幼児。
シャンシャンと鈴が鳴った。
それを見て、なんだか私は、
わるくないな、と思ったのであった。