よく気づいて自由に楽しく生きたいものですね。

客観的に生きるということを考えていて、
他人から自分がどう見えるか、
ということはもちろんですが、
それより自分から自分がどう見ているか、
ということがとても大切な気がしています。
で、そのためには観察することだ、
ということが、わかったように思います。


たとえば、皮膚や骨の感覚がどうなっているかとか、
心配や後悔、その時々の刺激に対する反応としての
感情がどのような状態になっているかとか、
歩くことや視線の運び方、呼吸をしたり、
いま自分がどのように動いているかなど。
体と心と動作が「いま」どうなってるのか。
微分して徹底的に認識し尽くすこと。
その超微妙な移り変わりを観察し続けること。
それをここ数ヶ月心がけています。


そんなことを考えるようになったのは、
主に下の三冊を読んだからです。

呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想

呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想

ゲシュタルト療法―その理論と実際

ゲシュタルト療法―その理論と実際

  • 作者: フレデリック・S.パールズ,日高正宏,倉戸由紀子,井上文彦,倉戸ヨシヤ
  • 出版社/メーカー: ナカニシヤ出版
  • 発売日: 1990/07
  • メディア: 単行本
  • 購入: 1人 クリック: 31回
  • この商品を含むブログ (3件) を見る
フェルデンクライス身体訓練法―からだからこころをひらく

フェルデンクライス身体訓練法―からだからこころをひらく

で、なんで観察することが大切なのかというと、
それは「気づく」ためです。ぼくは、これまで、
多くのことに気づかず、見すごしてきてたのです。
しかも、大切なことは、だいたい自分の中にありました。
というか、自分自身がメッセージを送ってくれていました。
つまり、自分から自分を見れていなかったのです。
客観的でなかった。自分に申し訳ない。


自分に申し訳ないことをしていると、
心が苦しくなったり、体が痛くなったり、
いろいろな不調やトラブルが起こる。生きづらくなる。
それは当然だと思う。なぜなら、本質的な自分(体とか心)は、
摂理を知っているからで、そのうえでサインを送っているのに、
気づかないものだから、よりサインを強くしているだけなのだ。
それに気づかないと、なんで自分はこんなに辛いんだと思う。
そのまま死んでしまう人もいる。


自分は自分を辛くしたいんじゃなくて、
自分をよくするために、気づいてと言っているだけ。
ホメオスタシス(恒常性)なのだと思う。
暑かったら汗を出して熱を下げたり、
悪いものを食べたら吐いて外に排出したり、
生き物がいつもの状態を保とうとする性質のことですが、
これなんじゃないかと思うのです。
自分を不幸だと思っている人がいたら、
それは、自分を不幸な状態におくことで、
その人の内にある課題に気づかせ、解消させ、
不幸じゃない状態に持っていこうとする力が、
うまく働いているのだと思う。
自分はそれを自然にやってくれている。
その自分に自分で気づいた方がいい。


不幸だと思うことがあっても、
自動制御の負のフィードバックみたいなもので、
全体的に見れば安定するための過程にすぎない。
自分を観察して、自分に耳をすましていれば、早く気づけて、
負のフィードバックが来る前に調節だってできる。
どんなことになっても、どうにかなるようにできている。
生き物であるかぎり、必ず成長するようになっている。
まとまりのない文章になりましたが、
そんなことを思うのですよ。