写真集を作ってもらって、受け取って、感動した。

どう説明してよいのかわからないのだけど、
写真集を作ってもらったのだった。ぼくの。

これが、その写真集『しーなえーご』。


去年の12月の寒空の下の、
首都高のCircle1の下をぶるぶる震えながら歩く
修行のようなイベントがあって、
ドボク系の人たちと知り合ったのだった。
で、春にはお花見に呼んでいただいたりして、
ぼくが元気がないので気にかけてくれたのか、
とにかく楽しくお花見をしたのだった。


お花見の少し前に、ぼくは山口と大分と福岡を
ひとりで旅行していて、我慢のならぬさみしさから、
写真や文字をTwitterで、つぶやいて、つぶやいて、
外に出すことによって透明になろうとするみたいに、
ともかく、ちょっとおかしくなっていたのだった。

そして、その旅行中のぼくの写真を見た、
ドボク系のさとこさんが、何か霊感を受けたのか、
「しーなさんの写真集を作っていいですか」
と言ってくださって、写真集ってどういうこと??
と思いつつも、うれしかったのでお願いしたのだった。


これまでにも、さとこさんは、
ドボク系の人たちの写真をたくさん撮影しては、
写真集にして渡すという創作活動を展開していて、
「さとこに写真集を作ってもらえたら一人前」
と、そっちの方では言われている、らしい。
そして、さとこさんは、そっちの方では、
「巨匠」と呼ばれているようでもあった。
しかし、巨匠といえども、まだ二回しか会っていない人の、
写真集を作ることができるのだろうかと思ったのだけど、
今回は初の試みとして、
「あまりよく知らない人の写真集を作る」
というのがあり、制作はスタートしたのだった。


四ヶ月ほどして、写真集はついに完成して、
祝日の月曜日に受け渡しが行われたのだった。
場所は、港南中央のソフブレセットの喫茶店。
「ソフブレ」とはソフトクリームとブレンドコーヒーのこと。


受け渡しには、さとこさんとともに、
制作に携わったようこさんも来てくださった。
何人もの方の協力や励ましによって、
『しーなえーご』はできていたのだった。


写真集は、ものすごい力作だった。
構成は、中学の英語の教科書みたいに、
ぼくの写真についてのシュールな説明文が、
日本語と英語でセットになって載っている。
だから、タイトルは「しーなえーご(英語)」。
聞きそびれたのだけど、「えーご」は「英語」だけじゃなくて、
ぼくの「エゴ」という意味もかけてるんじゃないかと思った
(たくさん自撮りしてるし)。


写真は、ぼくがいろんな気持ちで撮った数々。
その写真が、自分以外の人によって解釈され、
編集され、写真集のかたちになってもどってくる。
それを見ると、自分を知ることができることがわかった。
自分で自分を知ることは、実はすごくむつかしい。
解釈されること、そしてそれを伝えてもらうことは、
まるで鏡みたいに、自分を知るための方法なのだ。
一枚一枚、そのときのことを思い出したり、
作り手側の話も聞きながら、じっくり見ていった。
話せば話すほど、様々なことが深いところでつながるような、
ものを作ることの本質的なことがわかった気がして感動した。


さとこさんは今回の写真集の感じを、
こうつぶやいていた。

「照れるけれど目立ちたい」
「見透かされたくないけど理解されたい」
「法則を知りたいけど気ままでいたい」
「勝手にしてたいけど楽しませたい」
「変えられないけどどうにかしたい」
「手一杯だけどやさしくしたい」
「まじめにいたいけどふざけたい」

なんだか実に的確だ。
そして、これはみんなそうだとも言っていた。
「あまりよく知らない人の写真集を作る」
という試みで始まったけど、このときは、ぼくよりも、
ぼくのこと知ってるんじゃないかと思った。


家に帰っても、考えごとがおさまらず、
この日の経験は一体なんだったのだろうかと、
なかなか眠れなかった。そして、
こんな作品を作ってもらえるなんて、
なんてしあわせなんだ、と、しみじみした。
生きてると、いいことある。
ぼくの身に起こったことは、そのときは苦しくても、
こういうことのために、そして、これからのために、
すべて起こるべくして起こるのだ、
と何も否定せずに思うことができた。

さとこさん、ようこさん、みなさん、
ありがとうございました。
ドボク系のイベントまた行きたいです。