イガラシイッセイさんとダヤンさんの結婚式に向けて、
このブログと、昔のホームページから、
イッセイさんが登場する日記をピックアップして読んだ。
これがすごい数あった。イッセイさんなしでは、
ぼくは何もできなかったと思うほどだった。
写真とテキストをスクロールさせて、
「あー、こういうこともしたなあ」
と何度も思った。そして、そのときの気持ちになった。
イッセイさんとふたりだけで何かをするというのは、
めずらしくて、いまも続いている友人や、
そのときだけ会った人や、SNSでつながっている人や、
いつも他に誰かと一緒だった。
ほんとうにたくさんの人とぼくらは会っていた。
どうりで、会った人に渡す「へもいっ子シール」が、
何百枚もなくなっていったわけだ。
みんなで飲んで話したり、旅行をしたり、
バカなことをしたり、イベントをしたり。
写真とテキストを見ると、その時の記憶がよみがえる。
楽しかったことがほとんどだけど、楽しさの底に流れていた、
不安だったり、苦しさや、欲望だったりもよみがえってくる。
思い出すと、膝がピンと跳ね上がるような恥ずかしい記憶や、
なんであんなことをしていたのだろうと不思議に思ったり、
あれは幸せだったなあと思ったりした。
寸胴の中の具だくさんの感情のスープを、ゆっくり混ぜて、
刻まれた具が底から上がって、見え隠れするような感じ。
で、思ったのだ。「あ、これが青春だったんだ」と。
ぼくは、自分に青春なんてなかったと思っていた。
「リア充」というものについては、遠い存在というか、
憧れてもいなかったし、斜に構えていたのだけど、
ぼくらリアル充でしたよ、とくに「へもいっ子」たち。
いま見ると、眩しいくらいに。
いまだって、あと十年後に見返したら、
すごかったと思えるのかもしれない。
けど、きっと違うんだろうなと思う。
もう少し落ち着きを持って、振り返ることになるはずで、
それは楽かもしれないけど、さみしいのかもしれない。
ぼくの青春は、どこで終わっていたのだろう。
青春が一生続くことはないのだろうし、それでいいと思う。
みんな、自分は例外だと思いながらも、
なんだかんだで、同じプロセスを踏んで、
きちんと大人になっていく。
どんな些細なことも、すべて大切なものだと思う。
で、そうだ、イッセイさん・ダヤンさん、
おめでとうございます。