茨木のり子と吉幾三を混ぜてみてわかったこと

結論から言うと、
混ぜても何もならないということがわかったのだった。

「時代おくれ」茨木のり子

車がない
ワープロがない
ビデオデッキがない
ファックスがない
パソコン インターネット 見たこともない
けれど格別支障もない

そんなに情報を集めてどうするの
そんなに急いで何をするの
頭はからっぽのまま

(中略)

旧式の黒いダイヤルを
ゆっくり廻していると
相手は出ない
むなしく呼び出し音の鳴るあいだ
ふっと
行ったこともない
シッキムやブータンの子等の
襟足の匂いが風に乗って漂ってくる
どてらのような民族衣装
陽なたくさい枯れ草の匂い

何が起ころうと生き残れるのはあなたたち
まっとうとも思わずに
まっとうに生きているひとびとよ

この詩を読みながら、次の歌のメロディが浮かんだ。

「俺ら東京さ行ぐだ」吉幾三

テレビも無エ ラジオも無エ
クルマもそれほど走って無エ
ピアノも無エ バーも無エ
おまわり毎日ぐーるぐる

朝起きて牛連れで
二時間ちょっとの散歩道
電話も無エ ガスも無エ
バスは一日一度来る

俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ
東京へ出だなら 銭コア貯めで
東京で牛飼うだ

(以下略)

はじまりがとてもよく似ている。
これらを合体させてみると次のようになった。

「俺らブータンさ行くだ」

ハーァ!
テレビも無エ ラジオも無エ
クルマもそれほど走って無エ

ピアノも無エ バーも無エ
おまわり毎日ぐーるぐる

朝起きて牛連れで
二時間ちょっとの散歩道
電話も無エ ガスも無エ
けれど格別支障もない

俺らインターネットいやだ 俺らインターネットいやだ
ブータンへ出るだ
ブータンへ出だならどてらのような民族衣装着て
枯れ草の匂い嗅ぐだ

こうして、ふたつの詩をミックスすることにより、
なにか深いものが得られたような気持ちになったのだが、
あらためて読み直すと、深いものは、
茨木のり子さんの詩の方にだけあって、
わざわざ「俺ら東京さ行ぐだ」を、
合わせる必要がなかったことがわかったのだった。

結論:茨木のり子さんの詩だけ読めばいい