「どうなるんだろう……」
と呟いて何のことか忘れている。
何かが今後どうなるんだろうという不安と、
それについて考えなくてはという焦りだけが残っている。
その肝心な「何か」を忘れているのだった。
つい数秒前までそのことについて考えていたのに。
考える対象を忘れているのだから、
もはや不安がることはない。というか不安になりようがない。
例えば、さっき食べたものが腐っていたような気がして、
いま胃の中に収まっているのだけど"どうなるんだろう"とか、
気がかりな仕事があって、それを進める手立てが見つからず、
このまま行くとプロジェクトは"どうなるんだろう"とか、
そういった対象があるから、未来を不安に思えるわけだが、
対象を忘れているのだから、どうなるのか元からしてわからない。
だったらもう心配することはない、と思えるかというと、
もちろんそんなことはなく、思い出したらふたたび、
「どうなるんだろう」の続きから向き合って悩むことになるし、
それならなるべく早くから考えておいた方が安心する気がする。
不安になれないことが不安になる。思い出せなくて焦る。
そうこうしているうちに、降りるバス停の名も忘れていて、
スマホの乗り換えアプリを起動しようとすると、
Twitterのメッセージマークが目に入り、
あ、と思ってそちらを見て、どう返事しようかなと思いつつ、
他のメッセージを見ていると、
「そうだ、あれ買おうと思ってたんだ」
と脈絡なく欲しかったものを思い出し、
amazonのサイトにアクセスして表示を待つ間、
facebookを見ておこうとお知らせを見ていたら、
買おうとしていた物を忘れている。
まずいなと思ってスマホをしまって、
はあ、まずいまずいなんてバスの電光掲示板を見ていたら、
そうだバス停を調べようとしてたんだとスマホを取り出し、
ああこれこれ、と思ってポケットにしまう。
「カルダモン」
という言葉が急に浮かんでくる。おどろく。
これから行こうとしているカレー屋の
スープカレーに大量に入っている香辛料の名だ。
すぐに出てこなくていい言葉ほどいきなり出てくる。
カルダモンという言葉が実際に欲しいときには出てこない。
その自信はある。必要なときのために取っておきたかった。
あそこのスープカレーうまいんだよな。
で、バス停の名前なんだっけ。
と、こんな調子になっている。