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小説集『突き抜け』のご購入はこちらから。



突き抜け11の通販始めました。よく飲んでいる。散歩して古本屋を見たりした。

そうそう、「突き抜け11」の通販を始めましたよ。

こちらからお申し込みください。
docs.google.com

収録作と作者はこちらの通りです。

「酒抜き地蔵」 鈴木 鹿
「パブリック・ストリング・カルテット」 イガラシ イッセイ
「ドライブカウンセラー」 たかはし りょうた
「大晦日の習慣」 春昆布
「しーなねこ十篇」 椎名 隆彦
「ポコンとズレる」 高林 村

ページ数は80ページ。短くて読みやすくなっています。
表紙の青空みたいに軽くて抜けるような読後感だと思います。
よろしかったら、ぜひ。

5月3日

会社の先輩のOさんと、イガラシイッセイ氏と上大岡で飲んだ。
焼き鳥の鳥火。煮込みと刺身がついた焼き鳥のセット。
ビールと日本酒。うまい。
いろいろなお話を聞くことができて、とても楽しかった。
だけど、飲みすぎたみたいで、ぼくが何を話したかあまり覚えていない。
Oさんが産休に入る直前に貸してくださった本を読むのが楽しみです。
帰りにポカリスエットを2リットル飲みながら帰ったら、
二日酔いがほとんどなかった。

5月4日

おのしゅうさんと上大岡で飲んだ。
4月30日も上大岡で飲んだので(ひとりで)、
そればかりしている。焼き鳥ばかり食べてる。
おのしゅうさんと行ったのは、ろばた焼の安兵衛。うまかった。
https://www.instagram.com/p/BFB_sTVCwpT/
二軒目に庵蔵という蕎麦のあるバルへ。こちらもうまい。
飲みすぎと食べすぎ。写真は電柱に抱きつくおのしゅうさん。
https://www.instagram.com/p/BE_MYTTiwpm/
帰りにポカリスエットを2リットル飲みながら帰ったら、
やはり二日酔いがほとんどなかった。
二日酔いは、脱水症状だったのだ。

5月5日

5月末に会社が移転するので、引越しをする予定でいる。
そのため、通っていたスポーツジムを解約してしまったので、
定期的に運動して汗を流す機会がなくなってしまった。
なので、散歩をした。家から関内まで7kmほど。
ジムは効率的に運動できて時間を節約できるんだなと、いまさら思った。
一定のペースで狭い範囲で運動をして、すぐにシャワーを浴びて帰れる。
コンパクトにまとまっている。ジム以外で運動すると、当然だけど、
ジム以外のいろんな情報が入ってくる。時間もかけないといけないから、
外部の刺激を受けて人生のこととか考える。これもとてもよい。
ジムでは人生のこととかあまり考えない。

関内手前のイセザキモールに古本屋がいくつかあって、
一店一店気になってしまうので、じっくり見た。
ところで、今日は紙ゴミの日だったらしく、
散歩中に雑誌や本が道に捨てられているのを見るたびに、
足をゆっくり運んで、本のタイトルを確認してしまった。

で、古本屋なのだけど、最後に入った馬燈書房というところがとてもよかった。
品揃えが偏っているというか、心理とイギリスについての本がやけに多くて、
イギリスについてというのは、イギリス人の生活とか文学とかいろいろで、
イギリスを研究している人から本をまとめて引き取ったのではと思った。
古本屋さんの棚を見ていると、
「この本とこの本、同じ人が売ったんだろうな」
と思うことがよくある。棚にばらばらに配置されていても、
そのだれか知らない人の趣味とか性格のパターンが、
一本の線となって、いくつかの本を繋いでいて、
こういう感じの人が売りに来たんだろうなと勝手に想像するのだけど、
実際のところどうなのだろう。
ぼくと同じようなことに興味のある人がこの書店を訪れたのだなと思ったり、
私にもそういう時期がありましたという気持ちになったり、
次はこういうことに興味を持ち始めるのだろうなぼくはと思ったりで、
だれかと、または過去や未来の自分と会っているような気分になるのだった。

会計のときに、「なんかイギリスの本が多いですね」と言ったら、
たまたまそういう取引があったようで、
お店はオープンからまだ数週間しか経っていないそうで、
なるほどなあと思った。また来たいと思った。
100円の本ばかり買ってしまって、ちょっと申し訳ないなと思った。

あと、あまりにイギリスイギリスってなってたので、
思わず「イギリス人の生活」という本を買ってしまった。
https://www.instagram.com/p/BFBZ21HiwiM/

リツイートで動作する風船割りマシーンを作った

連休になったので、Raspberry pi 3で工作をしました。
リツイート数をリアルタイムでカウントして、
ある数に達したら水風船が割れる
風船割りマシーンです。
https://www.instagram.com/p/BFMFonmCwjr/
頭上にあるのが水風船と風船割りマシーンです。

https://www.instagram.com/p/BFMFFDViwio/
Raspberry piにサーボモーターを取り付け、
モーターが回転したら糸が引っ張られて、
針の付いた棒が倒れて、風船が割れる仕組みです。

制御はPythonというプログラミング言語でやります。
TweepyというTwitterAPIを簡単に使えるライブラリがあるので、
それを使って、自分のツイートがリツイートされた数をカウントします。
リアルタイムで数えたいので、Streaming APIを使います。

準備が整ったので、
「10回リツイートされたら風船が割れます」
という内容でツイートしました。
ツイートを見た人や、リツイートした人が風船が割れる様子を見れるように、
Youtubeのライブストリーム(生中継)をしました。
ネットからした「リツイート」とか「イイネ」で、
画面の中のひとに何かが起こるというのをやりたかったのです。

で、開始したのですが10リツイートってなかなかいかないものですね。
風が強くて、針の付いた棒が誤作動するのではないかと冷や冷やしながら、
40分ほど待ちました。そして、ついにそのときが来ました。
モーターがジジジジジと回りだし、カタッと針が落ちてきました。

が、割れませんでした。上の写真の通り、
針が当たってはいるのですが重さが足りずに、
ぽよ~んとなって止まってしまいました。失敗!
みなさんにリツイートを煽っておきながら割れないという
とても申し訳ない結果になってしまいました。


なぜなぜ分析をして、針に重り(乾電池)を付け、
風船には限界まで水を詰めて表面を薄く割れやすくしました。


たっぷり

それと10リツイートまで待つのがつらいので、
5リツイートにしました。
そしたら、

すぐ割れました。

30分ぐらいかかるかと思っていたら、
3分ほどでした。みなさん早い。
あと水の量が想像以上にすごくて笑ってしまいました。
寒かったです。


気付いたことは、Youtubeのライブストリーミングは、
うちの通信環境のせいか十数秒ほどタイムラグがあったので、
見ている人たちにとっては、10リツイートになってすぐに割れる
という感じにならなかったので、どうしたものでしょう。

水風船の破裂でどれくらい水が飛ぶかわからなかったので、
Raspberry piを風船から離れたところに置いて、
糸で仕掛けを動かしてややこしくなってしまったのだけど、
動画を見るとそんなに上に飛んでないので、
モーターから直接針を動かすようにしたいと思いました。

追記)試作
vine.co
いけないものを作っている気分になってきました。

思い込みについて

連休に入りました。金曜から休みだったのに、
てっきり土曜から休みだと思って、
曜日をずっと勘違いしていました。

木曜の夜に「あれ? タモリ倶楽部やってないな」と思ったり、
金曜に「あれ? 王様のブランチ今日やってないのか」と感じ、
そして今日、ぼくの中では完全に「日曜日」で、
文学フリマ当日だったので、早起きをして着替えて、
本を段ボールに入れて、小銭を準備して、
鈴木鹿さんにいただいたバターサンドを冷蔵庫から出し、
バスの時刻表を確認して、今日が30日であることに気づいた。
それでもしばらく勘違いしていたことを受け入れることができず、
何度も入念に確認して、「文学フリマは明日だ」と理解した。
こえええ、と思った。

年齢が上がると、思い込みが激しくなる。
自分の思い込みたいように思い込み、
いったん思い込むと修正することが困難になる。
最近、空耳・空目の類が多くなったのを実感する。
これはおそらく脳の処理能力が年齢とともに下がっているのに、
処理能力のピーク時と同じようなことをしようとして、
なんらかの「省略」をする必要が生じるためではないかと思っている。
こまかいところまで読まず、聞かず
(忍耐力が減ったり、目や耳が悪くなるのもあると思う)、
話を省略をして、省略によってできた空白を、
これまでの経験などをもとにした想像で補おうとする。
これが強くて修正困難な思い込みが生み出される原因ではないか。

この空白を埋めるところが厄介に思う。
何をもって埋めるかが重要で、それは過去の知識や経験なのだと思う。
たまに怒ってブツブツ言っている老人を外で見かけたりするけど、
蓄積してきた知識や経験がネガティブなものだったのではないかと思う。
聞き間違いで、自分の悪口を言ってるんじゃないかとか。
見間違いで、おれを笑ってるんじゃないかとか。
認知症になると凶暴になると聞いたことがあるけど、
認知症の祖母がとても穏やかなのは、
蓄積してきたものがポジティブなのだろうなと思う。

話をしていて、どんどん発想が広がっていく人は、
省略と空白の埋め方が絶妙なのだと思う。
直感的に不要だと判断ところを省略して、あえて聞き間違いをしたりして、
その人独自のアイデアで埋めて、よりよい形にして返してくれたりする。
大学でお世話になった先生方はそのような人たちだった。

何の話かわからなくなってきましたけど、
・根気よく観察することを心がける
・知識や経験を明るいもので増やしていくこと
この二点に気をつけて生活をしたいものです。
勘違いして思い込むにしても、
よい勘違いをしてよく思い込みたいものです。
https://www.instagram.com/p/BEx90hzCwjT/

持久走で体力を三分の一くらい温存したままゴールするような子どもでした。

高校の体育で持久走というのがあった。
長距離走のことで、距離は5kmだったと思う。
同級生のほとんどがスタートからペースを上げて走った。
それを見て、大丈夫か? と思った。彼らはぼくに2周の差をつけて、
ラストスパートをして次々にゴールした。
ふらふらになって、みんな芝生の上に仰向けになって。
とても満足そうに大きく呼吸をしていた。

ぼくは最初から最後まで変わらないペースで、ゆっくり走り続けた。
心配だったのだ。5kmというのがどれくらの長さなのかわからない。
走りきれるだろうか、気持ち悪くなったらどうしよう、などなど。
ぼくは最後のひとりになり、ゴールする前に女子の部がスタートした。
どんどん追い越されながら、ぼくは体力を温存したままゴールした。
ビリになって恥ずかしい気持ちはなかったが、達成感もなかった。

全力を尽くして走りきった男子たちは、生き生きして見えた。
体力を使い切り、回復するころには体力の上限が上がるのだろう。
彼らは回数をこなすたびに速くなっていった。ぼくは変わらなかった。
想像した範囲内のことを心配しながらやっているので、
活発になれない。だからおもしろくないし、成長もない。

思い返すと、ずっとこういうタイプで、心配ばかりしていた。
心配しすぎて血の気が引いているからか、顔色が悪いとか、
元気がないとよく心配された。
話がそれるけど、心配して抑圧してきたことの反動なのか、
いきなり変なことをしてきた。iPadに寿司をのせてブログに書いたり、
リアル桃鉄とか、エクストリーム出社とか、M-1グランプリに出たり。
きっと普通に全力を尽くせる人たちは運動や勉強や恋愛などで昇華できたのだ。
ぼくは普通に全力を尽くせないタイプだったから、
余って燻っていたエネルギーが、変な活動に転換されたのだと思う。
この歪みが自意識によっていたり、
エネルギーの出力形式が主観によっていたり、するのではないだろうか。
主観的でありつつ、歪みなくエネルギーを流すことが、課題だなと最近思った。

で、話はもどるが、ぼくには冒険が足りないのだ。
歳が上がると、より冒険をしなくなる。
ダメになるかもしれないことをやってみる、ということが足りない。
自分の人生をどうも大事にしすぎている。大したもんでもないのに。
ダメになることを恐れすぎている。いい歳して。そう思った。
お恥ずかしい。

https://www.instagram.com/p/BEBMK49Cwq0/

3月は忙しかった。お酒を減らそう。

3月はとても忙しく働いた。新しい技術にふれるのは楽しい。
いろいろ読んだり調べたりしてコードを書いて何かを作る作業、
ぼくはこういうのが好きなんだと思う。小説を書くのとか、
ゲームを作るのとか、そういうことを続けていきたいです。
ぼくの性質は、ひとりで完結できるようなのが理想なのかもしれない。
しかし、ひとりでやっていると、新しいことや気づきとか、
そういうのが入ってこない。なのでバランスよくやるのがよいのでしょう。
勉強することがたくさんある。コツコツやらないといけない。
なかなかできない。基礎がおろそかだからかもしれない。まずい。


お酒を飲みすぎたときの、翌日のダメージが見すごせないほど大きくなっている。
回復までに時間がかかる。ぐったりしすぎる。頭も痛くなる。
20代のころは二日酔いだなあと感じていたけど、
いまでは、深刻なダメージという感じで寿命が縮んでいるような気がする。
だからお酒を飲むのやめるというか、やめようか、もう。


それにしても、なんというか、昨晩飲みすぎたせいかもしれないけど、
どうも、むなしさを感じる。むなしい。孤独のようなものかもしれない。
孤独ではないのだけど、精神的な孤独とでもいうのでしょうか。
これをよく観察して味わうことも大切なことでしょう。


ところで、話しているとエネルギーが奪われていくような人がいる。
奪われるというか、自分が無力化される感じといった方が近いかもしれない。
そういう人を観察していると、どうも相手を下に見ないと、
関係性を築くことができないようだと思える。なんでそうなるのか。
予想にすぎないけど、親の影響なのではないだろうか。
多くの子どもが、はじめて目にする人間関係が、両親の関係で、
両親の関係が、子どもの関係性の築き方のベースにあるように思える。
たとえば、人を下に見ないと関係性を築けない人は、
父が母を、または母が父を、下に見ていたのではないだろうか。
子どもは、その見下した関係性を愛情とか親密さと認識してしまうと、
人との距離を縮めるために見下すことが必要な人になる。
話していて感じる無力化される気持ちというのは、
その人が親から感じさせられた無力感でもあるのだろう。
それを本人は無意識でやっている。下に見る以外にも、
卑下する、強がる、弱がる、偉ぶる、依存する、
ふざける、ケチをつける、迷惑をかけるなど、
人によっていろんな歪みのパターンが見られる。
子どもなら柔軟だし、ぶつかり合う相手も周りにいて良くなる可能性は高いけど、
おじさんおばさんになってこうだと、前頭葉は委縮するし、
面倒くさい人と思われて人が離れていくから、治す機会もなくなる。
話していて疲れてくるのは、そういう人が自分の歪みや傷の修復のために、
無意識で相手を巻き込んで手伝わさせようとしてくるからだろうな。


https://www.instagram.com/p/BDq4n_RiwvE/