新作がでました!(2014年11月)

小説集『突き抜け』のご購入はこちらから。



『インターネット的』を読んだ。散歩した。撮りためてた番組を見た。

前回の日記、まだ10月までしか書いていなかった。
11月もいろいろあって楽しく生活できたと思う。


ところで、『インターネット的』という本を読んだ。

インターネット的 (PHP文庫)

インターネット的 (PHP文庫)

糸井重里さんが10年以上前に書いた本。
それが今年11月に文庫化された。
インターネットによって世の中はこうなるのではということが、
「ほぼ日」をやって肌で感じて見えてきたことをベースに、
とてもフラットに書かれている。10年前に発行されたとき、
この本はあまり読まれなかったらしい。それは、
本の最後に新しく追加された「続・インターネット的」によると、

大きな理由のひとつは明らかです。この本には
「インターネットは儲かるぞ」って書かれていないのです。

たしかに本に書かれていることは、
気が短くて早く儲けたい人にとっては、
もどかしい気持ちになっただろうなと思う。
生き方や、人間観や、心がまえとかが中心に書かれていて、
それをまずはしっかりしていかないと、

ビジネスは「利益のため」だけの戦争になってしまいますし、
作品は「当てる」ためだけのものになってしまいます。

とあるから。本を売るためだったら、あの糸井さんなのだから、
当てようと思えば当てることができたと思うのだけど、
そんなことはしない。そんなことしていてはよくないぞ、
ということがここに書かれていて、その通りにしている。
で10年たって、そのことが「ほぼ日」で見事に実証されて、
世間では「いまの時代が予見されている」とか、
「ぜんぶ、ここに書いてあるじゃないか」と、
いまになって再評価されているそうだ。


10年前にインターネットについて書かれた多くの本は、
ぱっと売れたかもしれないけど、いまでは古臭くなっている。
ITの先端であっちだこっちだと走り回っている人たちの間を、
ほとんど脇目も振らずに、「ウサギとカメ」のカメみたいに歩んで、
みんなのお手本みたいなところに達しているのに感動してしまった。
(2012年には独自性のある事業で成功している企業に贈られる
ポーター賞」を受賞している。ほぼ日刊イトイ新聞 - ほぼ日ニュース
ほんとそういうことなんだろうなと思う。


この頃よく感じるのは、
早く儲けたいインターネット的でない人たちが、
この「インターネット的」なことがカネになると、
流行りに飛びつくような風潮というか、そういうのがあると思う。
その流れはいいこともたくさん生むと思うけど、
やっぱり長くはもたない気がする。

ぼくは「伝えるために」日々を過ごしているわけではないわけで。
なにをする、なにをしている、どうしようとしている、
どういう場面にいる……伝えるのは後回しにして、
感じたり思ったり考えたり動いたりしています。
その過程そのものが、「伝えたいこと」だと思っています

というところに、とてもぐっときたのだった。
生きることが伝えることになっているというか、
「消費のクリエイティブ」というキーワードが出てくるのだけど、
お金や時間を創造的に使うこと、遊んで楽しむこと、
よい環境にいること、よい気持ちでいること、
豊かに感じて考えて、それがよい物事を生むことにつながる。
こうやって地道にブレずに、長く自然にやっていくことが、
自分にも、自分以外にもいいんだろうなと思った。



土曜は、近所の友人のオカンダと散歩した。
自宅から半径5キロも出ていないところを歩きまわった。
どっちへ進路をとるかの基準は、
行ったことない、行かなさそう、おもしろそうな方を選ぶ。
http://instagram.com/p/wQbMWCCwlX/
結果、こんな道も通った。行き止まりは意外と少なく、
引き返したのは2回ほどだった。駅で言うと2駅分くらいの距離で、
区も跨いでない完全な地元なのに、知らない道だらけ。
いきなり小学生の頃に自転車で数回だけ通った道に出たりする。
20年くらい前の感覚が浮かんできて揺さぶられる。
旅とかの移動には時間と空間の要素があると思う。
空間的にはたいしたことないのだけど、時間的に大移動すると、
思えば遠くへ来たもんだ的な気分になる。
移動して場所的に遠くへ来たことが、
ノスタルジーを引き起こすこともある。おもしろい。
断片的に覚えているポイントとポイントが、
ふいにつながると「おお、ここにつながるのか」と感動する。
シナプスがつながるみたいな感覚。本能的なうれしさがある。
ラストは互いの家から徒歩10分ほどのところにある
うどん屋に入って、鍋焼きうどんを食べた。
ぼくは高校のとき毎日この店の前を通っていた。
入ったのは30代になってから。瓶ビールを飲む。


家に帰って、撮りためていたテレビを見た。
「地球イチバン~世界一服にお金をかける男たち」
「プロフェッショナル仕事の流儀~高倉健スペシャル」
浦沢直樹の漫勉」
どれもおもしろかった。

「地球イチバン」はサップという
コンゴに昔からあるファッション文化と、
サプール(サップをするひとたち)の特集だった。
コンゴのひとたちの平均的な月収は3万円で、
サプールはその半分以上を服につぎ込んでいる
(サプールは職業じゃなくて、ふだんは普通に働いている)。
服はブランド物で普通に10万円とかする。
各地域で代表みたいなサプールがいて、
彼らが集まってお祭りみたいなことをしている。
サプールは街のヒーローで、子どもたちの憧れでもある。
ファッションにはお金が必要なのでサプールたちはまじめに働く。
貧しいけど着飾ることで意識が変わり、誇りを持つようになる。
ケンカ早かった男が、サプールになってから、
落ち着きのある紳士になったりしている。
意識が変わると、人へ及ぼす影響が変わる。
影響を受けた人たちから及ぼされる影響で本人も変わる。
よい循環が生まれているという内容だった。
これも「消費のクリエイティブ」だなあと思った。


浦沢直樹の漫勉」は、漫画家の浦沢直樹さんが、
漫画を描いている過程をカメラで記録して見せてくれるもので、
へええ、こうやって描いてるのかと思った。
浦沢直樹さんの他に、かわぐちかいじさん、山下和美さんの
漫画を書く過程もものすごく接近して見ることができた。


番組を見おわって、
深夜2時にシャーペンで絵を描きたくなって、
amazonで検索をしたのだけど、
そういえばあったかもと家の中をさがしたら、
むかし祖父が使っていたものが何本も出てきた。
芯もあった。0.5mmのBが使いたいと思っていたら、
それもあったし、amazonで買おうと思ってたものもあった。
http://instagram.com/p/wRqCNICwi-/
祖父は亡くなる手前まで、
ほぼ毎日、製図台に向かって仕事をしていた。
仕事をすることが生きることのような人だった。
このシャーペンは図面を書くときに使ってたもので、
祖父の仕事部屋から父が持って帰ってきたのだった。
これ、おじいさんが握ってたんだなと思った。




また、11月の日記書けなかった。

10月のことを思い出して書くけど、わざわざ書くほどのことでもなかったような気がする。

10月と11月にあったことを書いておこう。
Twitterに書いておくと、いつ何をしたかわかって助かる。
さかのぼりますよ~

10月17日

大船のおでんセンターへ行ったのだった。
イガラシ夫妻と小宮山さんとで行ったのだった。
居酒屋という雰囲気でもなくて、家庭的という感じでもなく、
スナックっぽいというのだろうか、
とにかくうまくて安いよいお店だった。
おでん以外にもハンバーグとか唐揚げとか、
ひと通りそろっていてそれぞれポテトサラダが
しっかり乗ってくるのでポテサラを注文する必要がない。
http://instagram.com/p/uQhnusCwtp/
大きなお皿にこれだけのって800円とかだった。

10月16日

会社の同僚のNさんとieame君とで、
鶴見線の国道へ行って飲んだのだった。
国道駅の高架下に「国道下」という居酒屋がある。
戦後からずっとある居酒屋で、昔は辺りにも店があったらしいけど、
いまは国道下だけになっている。いつも常連さんでいっぱいで、
ぼくらが行ったときも入れなかったのだけど、
マスターが折りたたみのテーブルと丸椅子を出してくれて、
そこで飲んだ。まだ寒くなるぎりぎり手前の季節だったので、
ちょうどよかった。風情があって、ちびちびとビール中瓶を飲む。
http://instagram.com/p/uSsq2_CwrD/
戦争中に飛行機が飛んできて撃ったという
銃弾のあとがトンネルの入口にあって、
マスターに案内してもらって見た。

10月20日

以前に小説教室で一緒になった
ひんやりデブさん(女性)が、新宿のゴールデン街
ある店で週イチでママをされているというので、
イガラシイッセイ氏と行ってきた。
教室で一緒だったMさんも来店していて、
いろいろお話しながら飲んだ。ひんやりさんが、
カウンターの中でテキパキ働いているのを見てるだけで、
なんだかおもしろくってしょうがなかった。
http://instagram.com/p/uYNRaLCwrx/
店はにぎわっていて、2時間ほどで出て、
2軒目の焼鳥屋に入った。「ポヨ」という店で、
えらくうまかった。お通しのブリだったかなにかが、
ボリュームがあって、お通しで小腹が満たされてしまうほど。
Mさんの謎だったプロフィールを聞いてびっくりした。
ゴールデン街は巨大な文化祭のような印象だった。

10月24日

「こすぎの大学」という武蔵小杉でやっている
ソーシャル系大学で知り合った方々にお誘いいただいて、
若狭の梅酒を飲む会というのに参加してきたのだった。
福井県若狭町は梅が有名で、梅酒作りに力を入れている。
ストレートで飲ませていただいたのだけど、
とろりとしていて甘さがひかえめで超うまい。
若狭町についての観光情報などもレクチャーしていただいて、
とても満足した夜だった。福井県に旅行に行きたい。
若狭の梅酒を通販で2本買った。いまもちびちび飲んでいる。


10月26日

グルメなYUさんにお誘いいただいて、
祐天寺で焼き肉を食べたのだった。
おのしゅうさんと、ライターの朝井さんも。
ちょうど朝井さんの本が発売された直後だった。

ひとりっ子の頭ん中 (中経の文庫)

ひとりっ子の頭ん中 (中経の文庫)

ひとりっ子の習性について、ご自身の経験や、
いろんな人からリサーチした内容をまとめた本で、
とても売れているらしい(増刷もかかったそうです)。
YUさんは仕事はもちろん、仕事以外でも、
ものづくり系の団体で活躍をしていたり、
おのしゅうさんもいろいろとやっていて、
よい"気"の流れを感じた。あとやっぱり、
「すべらない肉コース」の肉がうまかったのがよかった。
http://instagram.com/p/unU9I4Cwl7/



10月はいろいろ食べたり飲んだりしたな。
すこし内蔵に疲労がきた感じになった。
おもしろかった本はこれ。古本しかない。

フロイト家の日常生活 (20世紀メモリアル)

フロイト家の日常生活 (20世紀メモリアル)

フロイトの家の家政婦パウラの話。
米国人のジャーナリストがパウラを中心に話を聞いて、
フロイト周辺の人の話や、様々な文献や手紙とかを見て、
パウラがフロイト家に勤めるようになってから、
息を引き取るまでがまとめられている。興味深く読んだ。
精神分析的なことはほとんど出てこないのだけど、
他の本と合わせて読むと、
なるほどと思うような箇所がたくさん出てきた。


パウラがフロイト家に入ったとき、
すでにフロイトは老人で、上顎洞をわるくしている。
別荘へ旅行したり、キノコ狩りに行ったり、
チャウチャウをかわいがったりするフロイト
人間らしいエピソードが読めてうれしい。
第二次世界大戦で、ユダヤ人のフロイト一家が追い詰められ、
ロンドンに亡命するのだけど、そこなんかは超ヒヤヒヤした。
本の中盤でフロイトは亡くなってしまい、
筋は娘のアンナ・フロイトとの関係に移っていく。
ナポレオンの親戚の皇女マリー・ボナパルトや、
ティファニーの令嬢ドロシー・バーリンガムや、
出てくる人たちがみんなすごいのだけど、そういう人たちの中で、
パウラ自身の役割や執着や名誉欲みたいなものが
歳とともに激しく息苦しくなっていく様子は、
読んでいて悲しいけど、よくわかるのでもあった。



話は全然変わるけど、無印で低反発のふっくらした枕と、
さわり心地のいい枕カバーを買ったのだった。
http://instagram.com/p/uf-PbICwjf/
とても気に入っている。うっとり。

映画を見た。「6才のボクが、大人になるまで。」「インターステラ―」「フューリー」「デビクロくんの恋と魔法」

11月に映画をいくつか見たのだけど、
どれもおもしろかった。とくに印象に残ったのは、
「6才のボクが、大人になるまで。」だった。

タイトルの通り6才の少年が大人になるまでを描いた
家族のドラマなのだけど、すごいのは、
大人になるまでの12年が本物ということ。
ふつうは、映画の時間の流れに合わせて、
6才ならこの子、10才ならこの子、15才なら――、
みたいに作中の歳に合わせて俳優が替わったりするけど、
この映画は、本当にひとりの少年を12年かけて撮影している。
少年だけでなく、主要メンバーである母と父と姉もずっと同じ。


長い時間をかけて対象を追うドキュメンタリーはあるけど、
これはドラマだというのがすごい。こんな長い演技って。
主人公の少年の顔は、面影を残しながらどんどん変わっていく。
髪が伸びたり短くなったり、ぽっちゃりしたり痩せたり、
いきなり声変わりしてたり。外見的なことだけでなく、
演技の仕方や、内面というか歳とともに俳優自身の心に
蓄積されてきたであろうものが演技を通して、
じわじわと感じられるようになってくる。なので、
ドラマなのかドキュメンタリーなのかわからなくなる。
演技をしているけど、本人の生き方が出ているように思う。
だからこの人たちのことが大好きになる。


実際には1年に数日間みんなで集まって撮影をするというのを
12年間繰り返したらしいけど、それにしてもすごい。
その時々の社会的なことや、俳優の状況も織り交ぜて、
シナリオを変えたり、編集をしたりしたそうだ。
ドラマが持つ物語の力と、ドキュメンタリーが持つリアルな力の、
よいところを融合させたような素晴らしい作品だった。



「インターステラ―」もおもしろかった。
3時間もあったけど展開に引きつけられて長いと感じなかった。

未来の宇宙の話で、とにかくむずかしい内容なのだけど、
それもそのはずで、登場人物が話していることや、
やろうとしていることや、描かれている宇宙の姿は、
どれも理論物理学の研究内容をもとにしているらしい。
舞台上の黒板に書かれている数式も本物の学者が書いたそうだ。


映画は超おもしろかったのだけど、
見おわって、いや見ながらずっと興奮して、ぼくは思った。
「おれも同じこと考えてた!!」
あまり書くとネタバレになってしまうので控えますが、
恐れ多いですが、ぼくもクリストファー・ノーラン監督と、
同じ宇宙観を持ってたってことですよ。
またまた~と思われるかもしれませんが、
ぼくの書いた2009年1月の日記を読めばわかると思います。

でしょう~??



それから、何の気なしに見て、
あわわわとなったのは「フューリー」だった。
戦争の映画ということはわかっていたのだけど、最初の数分で、
「ちょ、ちょっとぼく、覚悟とかできてないんですけど」
と不安になったほどだった。
(勢いでジェットコースターに乗ったら、
最初のゆっくり上がっていくところで、
想像をはるかに超えて高く行くので焦るような感じ)

これは心臓の弱いひとは注意した方がいい。
または、見る前に覚悟してから行った方がいい。
だけど見てよかったと思った。


カート・ボネガットの「スローターハウス5」や
ロバート・ウェストールの「ブラッカムの爆撃機」を
読んでからそんなに時間がたってなかったこともあって、
どれも第二次世界大戦の終盤で米国や英国がベルリンを攻めて、
戦闘が激しくなっているあたりを描いていて、
「フューリー」の世界がどういう状況かすぐに入ってきた。
そして、やっぱり悲惨だなと思った。ほんとおそろしくて、
いろんなことが押し寄せてきて頭が混乱した。
映画とは思えないリアルさと迫力で、
生きるか死ぬかの極限状態がずっと続くので、
見てるぼくも緊張しっぱなしだった。


映画を見おわったあとも緊張が解けなくて、
レイトショーだったので深夜0時すぎだったのだけど、
自転車に乗って駐輪場から出ようとしたら、
クルマのヘッドライトに照らされただけなのに、
「狙撃される!!」
て反射的に思ったもの。ほんとに。
そのあともビクビクがなかなか治まらなかった。
しかし、ぼくの祖父たちは、
あの戦争に行ってたというのが信じられない。
戦争を体験した人たちにとって、生活とか仕事とか、
死生観ってどういうものになるなのだろう。
強制的に戦争という極限状態におかれると、
その後の人生はどうなっちゃうのだろう。
祖父はもういないので、話を聞けない。



「フューリー」がショックすぎたので、
心を落ち着かせようと、中村航さんの小説を読んだ。

小説を原作とした映画も上映中で、
映画も小説も、どちらもおもしろかった。

映画は夜に見に行ったのだけど、
親子で来ている子や女子のグループやカップルがいて、
場内がほのぼのした空気になっていた。
内容もキュートで心があたたまるものなので、
ほかほかした気持ちになって帰ったのだった。
映画に、原作者の中村航さんがちらっと出演しているのを
見たときが、ぼくはいちばん盛り上がりました。

『SAVE THE CATの法則』を読んだり、『僕は小説が書けない』を読んだりした。

前回からのつづき)

『突き抜け』向けの小説がまったく書けないので、
映画脚本の書き方の本を参考にしたのだった。

SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術

SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術

これがすごく具体的で、読んでいくと、
自分にも書けるような気分になってくる。
ひょうきんな語り口で書かれていて読むだけでもたのしい。
まず、「一行(ログライン)で言うとどんな映画?」
というのを考えて、これを人に話したりして反応を見る。
これでおもしろがってもらえないと次のステップに進めない。
で、次にその映画が、これまでの映画のカテゴリーの
どれといちばん似ているかを明らかにする。
その上で、どうすれば自分の映画が一歩前進するかを考えて、
何か斬新な部分を付け加える
(「同じものだけど……ちがった奴」というのにする)。
次に主人公を決めたら、構成に入る。
この構成の章がこの本の肝で、
ブレイク・スナイダー・ビート・シート(BS2)という、
構成のテンプレートにしたがって内容を組み立てていく。
BS2は次のような15のビートで構成されている。
(括弧内はシナリオ内でのページ番号)

オープニング・イメージ(1)
テーマの提示(5)
セットアップ(1~10)
きっかけ(12)
悩みのとき(12~25)
第一ターニング・ポイント(25)
サブプロット(30)
お楽しみ(30~55)
ミッド・ポイント(55)
迫り来る悪い奴ら(55~75)
すべてを失って(75)
心の暗闇(75~85)
第二ターニング・ポイント(85)
フィナーレ(85~110)
ファイナル・イメージ(110)

それぞれにポイントがあって、
このビートとこのビートは対になるなどのルールもある。
映画を見に行って、上のビートに当てはめながら見ると、
「お、第一ターニングポイントきた」とか、
「いまが"心の暗闇"なんだな」と見てしまうし、
だいたいこれに当てはまると思ったのだけど、それもそのはずで、
ハリウッド映画の台本作りの「公式」になっているのだそうです。

ハリウッド映画がどれもこの公式にしたがって作られるから、
映画がどれも似たものになってしまっている
という問題があるそうなのだけど、その前に、
まず「公式」をよく知っておかないとなと思ったのだった。


それと、人がおもしろいと思うものって、
共通した構造があるように思っていて、神話とか民話みたいに、
古くから伝えられているものや、人生とシンクロするものとか、
傷ついて治るみたいに自然とか宇宙の法則が入ってるとか、
そういうものなのかなと考えているので、
たくさんの人に見てもらうための効率的な手法として、
公式が使われるのも自然なのだろうなと思った。
で、脚本術の本の通りにカードを作って貼ったりしながら、
小説を書こうとしていったのだけど、
やっぱりどうも進まなかったのだった。


そんな状態になっているときに、
中村航さんと中田永一さんによる小説が発売された。

僕は小説が書けない

僕は小説が書けない

まさに書けないので、読んでいる場合かと思ったけど、
おもしろくてすぐに読んだ。男子高校生が文芸部で小説を書く話。
物語自体もおもしろいのだけど、小説の書き方も描かれている
(作中にブレイク・スナイダー・ビート・シートが出ておどろいた)。
小説については、エンタメと純文学を二極に分けて、
原田さんと御大というキャラクターがバランスをとっていて、
小説のおもしろさや意義を伝えてくれる。
生きることと小説を書くことが融合していく素敵なお話だった。
印象に残ったところを書き出す。

自分が知っていることを書くんじゃなくて、自分の知りたいことを書くんだ。
知りたいこと、理解したいこと、探りたいこと、
それこそが小説や論文のテーマになるんだ。

自分がどういう人間なのかを、ほんとうの意味では知らないし、わからない。
それが、小説を書くことで見えてくるような気がするんです。
だから僕にとっては、書くことが必要なんです。

あと、書くことで対象との距離がわかるというのもなるほどと思った。
対象は人だったり物事だったり自分だったり。
小説って枠を決めて書きだしても、
枠の中は文字を埋めないといけないので、
その部分に自由連想法的に心のなかが出てしまうと思う。
少し時間をあけてから読むと自分でおどろいたりする。
それに応答するみたいに書いたり繰り返す。


それで、また書こうとして、というか書く前に考えるのだな。
考えるほうを半分くらいして、ざっと枠組みを作って、
やっと書いてみて、書くと「なにこれ!」みたいなのが出つつ、
そのまま進める。それでプリントアウトして、外に出てジムで走ってから、
喫茶店で最初から読んで「なにこれ!」部分を含めて考え直す。
そうすると半分まで来てたつもりが、実際は全体の5%くらいに、
圧縮されている。そういうことを、気づいたら電気じゅうたんで、
1時間ほど寝ていたりしながら繰り返す。で、またジムに行って、
筋トレして走って、サウナに入って、喫茶店でノートを広げて、
読んで思いついたことを書いて、レイトショー見て、
居酒屋で一杯やって、家に帰って書きなおして、
というのを土日のたびにずっとやっていたら、
わけがわからなくなりました。
http://instagram.com/p/u3FWNPCwlZ/


ポニョのドキュメンタリーDVDで、
宮﨑駿監督が自分を危機感で追い詰めると言っていたけど、
ぼくも自動的に、焦燥感というか落ち着かなくなってきて、
追い詰められ具合だけは整ってきて、まじどうしようとなった。
けれどもなんとか、とりあえず最後まで書いて、
文学フリマに出す『突き抜け8』の入稿には間に合ったのだった。
で、ぼくが書いた小説は、書くことで自分が気づくことが多く、
勉強になったのだけど、それを他の人が読んで、
どう思うかはさっぱりわからなく、
おもしろくないんじゃないかと思うのだけど
(結局、脚本術のテンプレートからも大きく外れたし)、
ぼく以外の方の小説はおもしろいので大丈夫だと思います。


キャラクターの性格やセリフ、話の展開のさせ方を考えることも、
書くために引っ張り出してくる過去の経験の選択も、
当然だけど、すべて作者がしていることだから、
作者のことなんだとあらためて思い知ったのだった
(そういう書かれ方でないものもあると思いますが)。
あちこちにエゴが出ていたり、ぼくの性格の歪みが表れている。
で、ぼくは自分が破綻していることがわかって、げーっとなった。
かつ、どうしようもないものは、もうどうしようもないと、
しみじみ感じたのだった。もうどうしようもないものを、
どうにかしようとするから苦しくなる。
もうどうしようもないと気づけば、
わりとどうでもよくなったりする。


なんでこんな恥ずかしいことを趣味でやってるのだと思った。
書くことに効能があるなら、書くだけ書いて、
誰にも見せずに隠しておけばいいのに、
100冊も作って売るって何なんだよと思ったのだけど、
読んでもらうことによって作者に生じる何かや
読むことによって読者に生じる何かがあると
思っているからかもしれない。そこは全然わからないのだけど、
読んでもらえると、
まじうれしい
のは、たしかです。


短編小説集 『突き抜け』 通販ページ
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文学フリマに出たり、「ポニョはこうして生まれた」のDVDを見た。

冬の文学フリマが24日にあって、
そこで売る小説を書くのに集中していました。

文学フリマに「ブログ読んでます」って言って、
買っていってくれた方がいてうれしかったです。
そのとき「最近、更新してないですね」と言われて、
わー! ブログ書かなきゃと思ったのでした。
ありがとうございます。
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(kasahiさん撮影)


10月の中旬から土日はずっと自宅にいて、
夕方にジムで運動をして、書店に入って、コーヒー飲んで、
レイトショー見て、焼鳥屋で一杯やって帰るということを、
飽きずに繰り返していました。

ずっと自宅にいて、そのあいだ小説を書いていたのかというと、
これがそうでもなくて、全然書けなくて苦しんでいました。
今回の『突き抜け』は、ぼく抜きで出すしかないと思ったほどでした。

で、全然書けなくて何をしていたかというと、
『ポニョはこうして生まれた。 ~宮崎駿の思考過程~』
というDVDを見ていました。

このDVD、5枚組で12時間半もあって、
NHKの若いディレクターが宮崎駿監督にずっと密着して、
カメラを回しているのですが、超おもしろいのです。
何がおもしろいのか挙げ出したらきりがないのですが、
ぼくがおもしろいと思ったのは、
宮崎駿監督が苦しんでいる」
ところです。すごく苦しんでいるのです。ずっと。


映画作りに取りかかる前の監督は、けっこう機嫌がいいのですが、
映画作りが始まると、どんどん機嫌がわるくなってきて、
愚痴っぽくなってくるわ、マジ切れするわで、
ディレクターが頻繁に怒られるので、
「わー そんなに近寄るとまた怒られるよ!!」
と、こっちがハラハラしていると、案の定カミナリが落ちて、
「ほーらやっぱり怒られた! だからいまはダメだってのに!」
と、見ている側が気まずい気持ちになるという、
不思議なドキュメンタリーでした。
(気まずすぎて、しばらく見たくなくなるほどでした)


なんでそんなに機嫌がわるくなっているのかというと、
映画の制作が進むにつれ、監督が神経質になっていくからで、
それというのも、自分が描いた絵コンテをもとに、
ジブリの大勢のアニメーターが作業をするので失敗が許されないうえに、
早く描かないと進行が止まって、映画の公開が遅れるという
板挟みの状態になっているからで、
それだけでもノイローゼになりそうなのに、
そのうえ、前作を超えるようなストーリーと絵を、
そこまでの展開や時代の空気や監督の今の気持ちなどに沿って、
選択していこうとしていて、おまけに、
アニメーターの原画のチェックと手直しも全部してて、
逃げ出したくなるような極限状態が何か月も続くからで、
そんなになってるんだから密着取材なんか断れよ!
とツッコミを入れたくなるのだけど、
こんな修羅場のリアルな映像を見れるのは貴重だから、
怒られる~! とビクビクしながら覗くように見たのだった。


で、見ていて思ったのは、
宮崎監督は自分自身をあえて追い詰めているということ。
「これまでと同じだったら、これまでのを見てればいい」
と言って、これまでにないものを作る挑戦をしていて、
それはストーリーだけでなく、線の一本にまで至っている。
手が覚えている慣れた描き方で引いてしまう楽な線を、
常に意識的にずらして描いていたり、
自分のアイデアを自分で裏切ったり、
できるかわからないことをやろうとしたり、
作って試して壊して、何度もシミュレーションをして、
わざと時間をかけて悩んで苦しんで、ゆっくり進めていた
(監督自身「時間をかけないといけない」と言っていた)。
とにかく考える量が多くて、あらゆるパターンを考えている。
「(映画を見た人に)わかんないと言われたとき、
わかんない奴がバカだと言える」ように何通りも先回りして考えて、
さんざん考えた中から自分の気持ちに合うものを探すという。
そうすることで、誰でも思いつくことではない
すぐにできるものではないものが、できあがるという。


何度も出てきた言葉に「危機感」というのがあって、
ジブリの鈴木プロデューサーの話もあるのだけど、
宮崎監督が精神不安定になるのは、毎度のことらしく、
それは「理屈ではとらえきれない領域に入りたい」から、
そうなるらしい。そうしたときに、
いいものができる、おもしろいものができる。
これを「脳みそのふたを開けなきゃいけない」と形容していた。
そのために、自分を追い込んでいるのだという。
たしかに、精神不安定になってくると、
神経が過敏になって、いつもなら見えないものが見えたり、
あらゆることが自分へのメッセージのように
感じられたりすることがあるけど、
そういう状況をあえて利用しているのだろうかと思った。


もうひとつの苦しみのポイントは、
宮崎監督の幼少期にあったらしき心の問題のようなもので、
ドキュメンタリー番組なので、そういう流れにしてるのでは
とはじめは訝しんで見ていたのだけど、どうもやはり、
お母さんとの関係で何かがあるようだった。
「おふくろに対しての気持ちをほどいていない
どうすればおふくろはもっといきいきと生きられたんだろうと
時々思ったりする」と監督が語っていた。
ポニョの映画の終盤で、お母さんを投影したようなおばあさんと、
主人公の少年をどのように描いていくかのところから、
「なんで絵コンテをやり出すと突然肩が重くなるんだろう」と、
絵コンテがものすごく遅くなる。
見ていて思ったのだけど、クライマックスというのもあるけれど、
ここに宮崎監督の向き合いたくないけど向き合わないといけない、
何かがあるのだろうと思った。だから辛くなるし悩むし進まなくなる。
そして、それを表現して対峙して昇華することが、
結果的に映画に欠かせない要素になっていくのではないかと思った。
だからラストはもう宮崎監督のためにあるように思えたし、
宮崎監督の心にその何かがなければ、そもそもポニョの映画が、
完成しなかっただろうと思った。その何かのシーンを越えてからは、
「作り始めたときはいろいろあるけど映画を作る作用で希望に向かっていく」
と語ったり、映画も円満にエンディングになっていく。


このドキュメンタリーを見たあとに、
あらためて「崖の上のポニョ」を見ると、
カットのひとつひとつに思考とか念がこもっていて、
隙がなく、なぜここはそうなっているのか
理由を説明できるようになってると思ったのだった。
ドキュメンタリーから宮崎作品のすごさがよくわかったのだけど、
「ものを作る」こと全般に共通する大切な条件やプロセスなど
(悩むこと、時間をかけること、ロジックを精密に組み立てること、
心の何かと向き合うこと等々)が、ここにあるように感じたのだった。



で、長くなってしまったのだけど、
『ポニョはこうして生まれた。 ~宮崎駿の思考過程~』を見た
ショックで、文学フリマ用の小説が書けなくなったのでした。


つづく。長くなってしまった、寝る!)


結局、小説は書いて『突き抜け』も出せました。
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