最近読んだ本『反省記』『御伽の国のみくる』

三月は神経も体調も不調になるのですが、
今年も不調です。

最近読んだ本のことを書いておこうと思いますよ。

 

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『反省記』(西和彦さん)

西和彦さんの『反省記』。
コンピュータの偉い人という漠然とした印象しかなかったのですが、
その西和彦さんが半生を反省した記録です。おもしろかった。

学生の頃から出版社を作ったり、駆け出しの頃のビル・ゲイツに
国際電話を掛けて会いに行って、理想のコンピュータを作る使命に燃え、
めちゃくちゃ売り上げて、マイクロソフト副社長になったけど、
喧嘩して追い出され、自分の作ったアスキーでも喧嘩して追い出され。
うまくやっていれば億万長者になっていたはずなのに、
極端な性格のせいで、すべてを失ってしまう。

すごい人だなと思ったけど、こういう人が近くにいたら、
ほんとにイヤだろうな! と思いました。
いまで言うパワハラだったと書いてありましたし。

極端な性格というのは、何かしらの欠落を埋めるために表れる
反動みたいなものなのではないでしょうか。
成功のためには、普通でないことをしないといけないので、
その極端さが必要ではあるけど、成功しても欠落は埋められない。

大きな欠落を埋めるためには、それだけ大きな転落が必要で、
転落が必要な人ほど自然と成功するのではとすら思えてくる。

すべてを失って孤独になって反省して、本当のことが見えてくる。

というようなことが、ハリウッド脚本術の本にも書いてありますよね。
だからハリウッド映画を観ているようなおもしろさがありました。

 

『御伽の国のみくる』(モモコグミカンパニーさん)

BiSHというグループのモモコグミカンパニーさんが書いた
『御伽の国のみくる』。おもしろかった。

アイドルになりたくて上京した女性が、夢やぶれて、
秋葉原のメイド喫茶でアルバイトをしながら生計を立てているのですが、
いろんなことがうまくいかず、どんどんやばい状況に追い込まれていく。

モモコグミカンパニーさんの過去のインタビューを読んだら、
卒業論文が、
「アイドルと演じること 一人の人間に見る虚像と偶像」
というテーマだった、という記載があったので、
小説の内容的に、その論考がベースになっているのではと想像しました
(論文は見つからず読めませんでしたが)。

どのシーンも葛藤や対立などが描かれて、ゆるむ所もなく、
クライマックスに向けてぐんぐん展開していって、
緊張して息苦しくなるほどで、ラストもすごい。
実際に活動している、当事者にしか書けない作品だと思いました。

アイドルとファンの関係についてや、
その関係は、ひとりの人間のなかでも、理想とする自分と、
それを追い求める満たされない自分という関係でもあるなとか、
いろんなことを考えることができたのですが、
このような発見がある小説って、

  • 作者が書いていくうちに発見をするタイプ
  • 作者が発見したことを元に書いていくタイプ

があると思っていて、よりおもしろいと感じるのは、
この両方があるものですね。ある発見をベースに書いていったら、
それよりさらに深い発見があったという作者の思考プロセスを
読者も追体験できるもの。そういうのは読んでいて興奮しますね。
本作もそういうタイプなのかなと勝手に思いました。

 

 

しかし、『反省記』も『御伽の国のみくる』も、
ビル・ゲイツに尊敬されるぐらいになるとか、
人気アイドルになるといった、高い理想があり、
高い理想を持つということは、心に何かしらの闇があり、
やばいことになる元凶であると思うのと同時に、
それが人間の原動力であり、成功するためのユニークさ(狂気)に
つながっているのだろうなと思いました。

足るを知るといって、現状に満足しきっていても、
エネルギーが湧かず、おもしろいことができませんし、
逆に満足せずにがむしゃらに頑張って成功しても、
他人に迷惑をかけたり体や神経を壊しますから、
ちょうどいい具合にできませんかね。