長期休暇は、健全な人々には心と体を癒す薬になるが、
ネガティブな者には、毒薬になることがある。
何かしないといけないと思いつつ、何もできなかったとなると、
「せっかくの休みを活用することができなかった」
と後悔し落ち込む。
その後悔が怖いから、日中は美術館、銀行、
教習所、美容室、買い物、歯医者、ジム等、
あちこち躁状態で駆け巡り、夜は当てもなく外を彷徨い、
立ち飲み屋で時間を潰して帰ってくる。
「ああ、疲れた。しかし充実した日を送ることができた」
などと虚像で心の隙間を埋め、
日々をやり過ごすのも2、3日が限界。
雨が降り、金がなくなり、持ち玉が無くなると、
せわしなく動いたツケが回ってくる。虚像がボロボロと崩れ、
その残骸が惨めさを際立たせ、神経に重く圧し掛かってくる。
初めから分っていたのだ。自分の行動が
全て「おままごと」であることは。
本を1頁めくる気力もなくなり、内にはまり込む。
私の苦しみは、生活というシステムを運営する自律神経が、
失調していることからきている。人体の自律神経は、
意識をしなくても呼吸等ができるように働いている。
健全な人は、呼吸するように無意識に生活を送る。
なぜ宇宙は、私を生活的過呼吸のようにして、苦しめるのか。
苦しめることで現実逃避をさせるのが目的だ。
いや、宇宙にとっては、健全な人々の現実こそ現実逃避。
要するに宇宙は、宇宙にとっての現実、つまり真理に、
私を向かわせているのだ。今の場所の居心地を悪くすることで、
誘導的に真理に進むよう仕向けている。
そして何かを掴めと伝えてくる。
掴んだものは、生きとし生けるものにとって、
効果を発揮するものだからそれを表現しろと。
しかし、何も掴めない。それがまた私を苦しめる。
苦しめても苦しめても、結局何も掴めず、宇宙の役に立てないのなら、
生の根本からくる苦しみで狂うか死ぬかしてしまえ、
それでも生き長らうことを望むなら、全部忘れて「おままごと」に没頭しろ。
そういうことなのだ。
なんつってな!
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先週、イガラシイッセイが同様の長期休暇の終盤で、
ネガティブなことを日記に書いて、人々を心配させていたので、
「例のやつがきたな、同じ過ちは犯すまい」
と思い、最後の「なんつってな!」で中和しときました。
連休は楽しい、あはははは。ワイン飲んで楽しい。
必要なのは「覚悟」なのだろうな。