「そうだ、しーなさんに聞いてみよう。」その8

【 イエスマンさんより 】
はじめまして。
M-1グランプリの3回戦を見てからというもの
サイレンツというコンビ名がどこかに引っかかり検索し、
このブログに至ったイエスマンというものです。
毎日ブログ拝見させていただいてます。


さて本題ですが、
今年M-1グランプリに参加しようと思っています。
そこで


「そうだ、しーなさんに聞いてみよう。」


アマチュアで唯一ルミネの舞台に
あがった男(私の見た日)として、
ずばりM-1グランプリ2回戦突破の秘訣を教えてください。
ちなみに私は社会人2年目のアマチュアです。
去年も参加したのですが2回戦突破ならずでした。


よろしくお願いします。


どうもありがとうございます。
「突破の秘訣」なのですが、僕もよくわかりません。
しかし、ご質問の答えを考えているうちに、
関係ないかもしれませんが、思ったことがあったので書きます。


僕は、お笑いがわりと好きで、
5年くらい前はおもしろいと思って、よく見ていたのですが、
2年ほど前から、おもしろいとまったく感じなくなって、
それどころか、どれもこれも同じじゃないかと、
イライラして、見ていられなくなっていたのです。


「同じ」というのは、例えば、
ボケ方やツッコミ方や、喋り方やアクションや、ネタのテーマです。
そして、それを丸暗記して練習して、器用にいつでもどこでも、
スムーズに出すことが、うまくておもしろいものだ
ということになっているお笑い界の現状と、
それについて何の疑いも持たずに、
「どーもー!」とか言って、のんきに出て来る、
お笑い芸人たちにも、キーッ!となっていました。


ネタを、まったく同じように再現することが目的なら、
最高にできた1回をDVDにでもすればよくて、
生でやる意味がないと思うのです。
そして、そういう作品は繰り返し見ていると、
消費されて、おもしろくなくなるように感じます。


逆に、今のこの場所限定で、
一回性の何かすごいことが起きていると思えることが、
僕が考える「おもしろい」の定義で、
この時空を含めた(圧縮して詰め込んだ)おもしろさは、
DVDになっても、映画や小説や音楽や絵画みたいに、
生でなくてもおもしろいと思うのです。
すごい芸で作られたものは、鑑賞中に解凍されて、
生になるからです。そういうのが、芸術なのではと思います。


なので何でしょう、
ひとつは現状にイライラしてキーッ!となることと、
もうひとつは、対象に宇宙(時空とさらに高次元のもの)や狂気を込めて、
表現に変える形式化の力だと思って、これは漫才に限らず、
いろんなことに当てはまるのではと感じました。
宇宙と芸の関係については、以前に考えたことがありましたので、
よろしければ、そちらをご覧ください。


僕はまだまだ精進が足りません。