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持久走で体力を三分の一くらい温存したままゴールするような子どもでした。

高校の体育で持久走というのがあった。
長距離走のことで、距離は5kmだったと思う。
同級生のほとんどがスタートからペースを上げて走った。
それを見て、大丈夫か? と思った。彼らはぼくに2周の差をつけて、
ラストスパートをして次々にゴールした。
ふらふらになって、みんな芝生の上に仰向けになって。
とても満足そうに大きく呼吸をしていた。

ぼくは最初から最後まで変わらないペースで、ゆっくり走り続けた。
心配だったのだ。5kmというのがどれくらの長さなのかわからない。
走りきれるだろうか、気持ち悪くなったらどうしよう、などなど。
ぼくは最後のひとりになり、ゴールする前に女子の部がスタートした。
どんどん追い越されながら、ぼくは体力を温存したままゴールした。
ビリになって恥ずかしい気持ちはなかったが、達成感もなかった。

全力を尽くして走りきった男子たちは、生き生きして見えた。
体力を使い切り、回復するころには体力の上限が上がるのだろう。
彼らは回数をこなすたびに速くなっていった。ぼくは変わらなかった。
想像した範囲内のことを心配しながらやっているので、
活発になれない。だからおもしろくないし、成長もない。

思い返すと、ずっとこういうタイプで、心配ばかりしていた。
心配しすぎて血の気が引いているからか、顔色が悪いとか、
元気がないとよく心配された。
話がそれるけど、心配して抑圧してきたことの反動なのか、
いきなり変なことをしてきた。iPadに寿司をのせてブログに書いたり、
リアル桃鉄とか、エクストリーム出社とか、M-1グランプリに出たり。
きっと普通に全力を尽くせる人たちは運動や勉強や恋愛などで昇華できたのだ。
ぼくは普通に全力を尽くせないタイプだったから、
余って燻っていたエネルギーが、変な活動に転換されたのだと思う。
この歪みが自意識によっていたり、
エネルギーの出力形式が主観によっていたり、するのではないだろうか。
主観的でありつつ、歪みなくエネルギーを流すことが、課題だなと最近思った。

で、話はもどるが、ぼくには冒険が足りないのだ。
歳が上がると、より冒険をしなくなる。
ダメになるかもしれないことをやってみる、ということが足りない。
自分の人生をどうも大事にしすぎている。大したもんでもないのに。
ダメになることを恐れすぎている。いい歳して。そう思った。
お恥ずかしい。

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