三連休だった。飲み過ぎたりした。

日曜は地元の友人オカンダと、
上大岡の居酒屋で酒を飲みました。
オカンダとは小学生の頃からの友人です。
四時間くらい話して情報交換をしました。
いつも、とても刺激になります。



飲みに行く途中に、富士山の影が見えました。
分かりますでしょうか、真ん中辺りにあります。
空のグラデーション、富士山、家の影、外灯。
ばっちゃんさんに以前頂いた川瀬巴水の絵を思い出しました。


成人の日の今日は、飲み過ぎて二日酔いで寝てばかり。
いったん八時に起きたのに、いつの間にか寝てて、
一四時に起きて、またいつの間にか寝てて、
二〇時になっていました。参っちゃいました。
睡眠の合間合間に、本を読みました。
小説は少しずつ進んでいます。



二〇一〇年の

目標みたいなことを考えていたのですが、
あまりにも複雑になってきて、分からなくなりました。



年末辺りから、「ああ、これだ」というような出来事や、
イベントや本との出会いがいくつもあって、
何となく見えてきた気がします。今年だけでなくて、
一〇年代というか、もっと長いスパンでこれでいこうと、
思うようなことが、漠然とですが、整理されてきました。
それでも、問題はいっぱいでして、もっとコミュニケーションして、
自分なりの考えをまとめて、活動したいと思います。


活動といっても、やはりリアル桃鉄とか、変な企画とか、
小説の同人誌、漫才、音楽、動画、ブログ、展示とか、
おもしろいことをやって、やって、
皆でカッコよくなって、モテたいものです。
へもいっ子クラブの本領を発揮して、
MMKでセレブで、楽しく遊んで暮らしたいです。



話はまったく変わりますが、

この前思ったのは、メディアの種類として、
ぼーっとしてても入ってくる「受動メディア」と、
自分から動いて手に入れる「能動メディア」があって、
それを縦の軸とするじゃないですか。そして、
もう一本、「みんなで作る」と「ひとりで作る」を、
横軸として表を作ってみたのです。


それで、右上のAの領域のものが、
今後盛んになると思っているのです。


Bの能動的なメディアで、ひとりで作られるものとしては、
例えば「小説」だと思うのです。
で、Cの受動的なメディアで、ひとりで作られるものは、
例えば「音楽」などがあるのかなと思いました。
Aの能動的なメディアで、みんなで作られるものは、
オンラインゲームなどで、
Dの受動的なメディアで、みんなで作られるものは、
ニコニコ動画だったりすると思うのです。


で、Aの、自分が積極的に関わっていって、
皆との反応で創発的にコンテンツが出来上がってくるのを
極端にすると、ネットゲームから、「現実の生活」になって、
Dを極端にすると、ぼんやりしていても入ってくる、
いろんな人との関係から生成されるものとなると、
寝ているときに見る「夢」が近い気がしました。


で、これらは同じ平面上にありながらも、
お互いに入れ子のように、何枚も輪廻している気がするのです。
生活が小説で、逆に小説が生活であったり、
夢と生活が入れ替わったり、夢と音楽が入れ替わったり、
そうやってコンテンツごとに視点を変えていくことで、
どんどん高い抽象的な階段を上っていって、
生を客観的にできるのではと思うのでした。


AとDは、コミュニティーとかネットワークがないと
できない上に、作品が存在している時間が、
その生成されているプロセス自体にあるため、
再現できないとか、毎回質が変わる問題がありますが、
だからこそ価値があって、おもしろいのでして、
こういう各領域の長所と短所をうまくやって、
往復して、何か素敵なものを作りたいです。


自分で書いてて、よく分かりませんけど。