タイミングとか。流れとか、意識、無意識。

インプットにもアウトプットにも、
手順のようなものがあるような気がしていて、
あることをしていないので、これができないというような、
でもその「あること」が、具体的に何かわからない状況があって、
そうなると、創造性みたいなものが行き場を失ってストレスになる。


例えば、小説を書こうと思っていても書けないとき、
まったく別のこと、「A」をすると、
「B」「C」「D」と急に歯車が回り始めて、
自然な流れで小説に取り掛かることができる。
で、実際に文章を書いたり考えていると、
「あ、これは、BとCとDを経ていなかったら出てこなかったな」
と思うことがあるから不思議で、そう考えると、
機が熟すのを無意識が待っていたのではないかと思った。


だから、無意識は必要なことをすべて知っているのに、
意識がそれを理解していないのが問題で、
さっきの例で言えば「A」が必要なことを無意識は知っていて、
意識がそれをわかってないから、いきなり「C」や「E」をやって、
うまくいかないから、うつうつしてしまうのでしょう。
テトリスで縦長の棒が欲しいのに、凹とか凸ばかり出て積もって、
混乱してしまうような感じだったり、カレーを作るのに、
ナタデココを買ってきてしまって途方にくれるような。


具体的な行動、つまり「A」とか「B」は、
「寝る」「食べる」「トイレに行く」のような本能的なもの。
「読む」「書く」「話す」「観る」「聴く」のような
基本的なものがあって、その対象は
「ブログ」「企画」「漫才」「絵」「映画」「音楽」「人」
など限りなくあって、さらにそれらによって
「感動する」「落ち込む」「笑う」「不安になる」
などの感情がセットになっている。このセットが、
目指すゴールまでのプロセスの上にあるチェックポイントを
クリアするために必要な入力になるのだろうと思いました。

うまく行きはじめると、シンクロニシティが連発して、
化学反応が急激に進むような感覚がする。
最近では、小説のことばかり考えていて、
そこから神話、能動的想像法、ユングフロイト
精神分析、対話、言葉、荒川修作、環境とかぐるぐるなってます。
おもしろいのは、何ヶ月も前に買って読まずに置いていた本が、
読まれるのをいままで待っていたのだな、と腑に落ちることです。


それはそうとして、こういう流れをどうすれば
うまく作り出せるかが気になるのです。
手当たり次第にやってみるというのもいいかもしれませんが、
時間や体力には限界があるので、なるべく当たりをつけたい。
無意識はどうすればよいかを知っていると僕は信じているので、
心の鏡をきれいに磨けば、道が見えてくる気がします。
なぜ僕はいらいらしているのだろう、
落ち込んでいるのだろうといったことを、
冷静に立ち止まって考えて理由を明確にして、
心の曇りをひとつずつ拭き取っていくことを
淡々とこなすことでしょうか。


だめだとか、進んでない、堂々巡りだと思うようなことが、
あとから必要だったんだとわかることもあるから、
むつかしいです。そうなると、やっぱり、
ポジティブに考えるようにしたいものです。
心が曇らないように誠実に生活をしていれば、
起こることはすべて自分にとって重要なことであると
強く信じていれば、いいんじゃないでしょうかね。
あまり自分で自分を苦しめないように。


と、自分に言い聞かせてます。