年末の二十八日は箱根の強羅へ行きました。
小田原まで東海道線。箱根登山鉄道で強羅。
強羅からさらにケーブルカーで坂を上がった
中強羅にある宿に泊まりました。
ひのじさんと旅行すると雨が降るのですが、
今回も雨でした。ちなみにひのじさんは、
シンガポールへ行った時も台湾に行った時も、
雨を降らせたそうです。
ぼくと行った旅行では八割が雨です。
養老天命反転地で雨だったときは、
滑って転んで、身の危険を感じました。
強羅は箱根の中でも標高が高く、
飛びます飛びますみたいなスイッチバックで、
小田原からずっと登りっぱなしでした。
宿までの坂を歩くとき、あまりに急な坂なので、
膝がガクガクしてしまうほどで、
「足がガクガクするよ」と言ったら、
「おじさんだからじゃない?」と。
ついに年が膝に来る段階に入ったかと震えました。
宿はこじんまりとして清潔感のある新しめの
民宿のようなところで、とてもよかったです。
特によかったのは温泉。
加水も加熱もしていない、そのままのにごり湯で、
心身に直接響いて伝わってくるものがありました。
火山の奥の奥から噴き出してきたものだから、
大地エネルギーが含まれているのでしょうか。
翌朝、すこし咳が出て、
エアコンを付けっぱなしで寝てしまったので、
空気が乾燥して喉を痛めたかと反省しました。
小田原まで戻って、
小田原城内の報徳二宮神社でお参りをして、
御幸の浜で海を眺めました。
湘南の海と違って青々している印象を受けました。
昼過ぎに、あじわい回転寿司「禅」へ。
結構歩いて、お店に着いたときには、
ぼくは憔悴しきっていました。それにしても疲れる。
日本酒を一合と、ひと通り食べたいものを食べて、
相変わらずうまかったです。バスに乗って駅まで行って、
湘南新宿ラインで帰りました。
電車に乗っていると、なんとなく気持ちわるくなり、
車内でスマートフォンを見つめすぎたからかと、
スイッチをオフにして、そうすると暇なので、
ひのじさんと、文学しりとり
(文学者とか作品名でするしりとり)を
しようと始めたものの、どうも具合が変で、
自分から提案して面倒くさくなって、たしか、
「内田百輭」でどちらかが負けて終わりました。
家に帰ったら全身がだるくなり、
ああ、なんかこれは風邪を引いたなと思って、
さっとお風呂に入って七時に寝ました。
ら、夜十時に目が覚めてガクガクブルブルになって、
熱を測ると三十八度を超えていました。
シャツを何枚も重ね着してジェラートピケを着て、
寝ましたが、ぐんぐん熱が上がっているらしく、
ずっと寒気がしてうなされて眠っているような、
眠っていないような、頭がおかしくなりそうでした。
三十日。
熱が下がらないので休日診療へ行きました。
そうしたら、ぼくと同じような病気の人で、
ごった返していて、待合室から人があふれ、
外で待っている人までいて、皆マスクをして、
咳き込んで、赤ちゃんの鳴き声が響いていて、
地獄のようになっていました。待ち時間は二時間半。
待ってる人はその間、
待合室の大きな液晶テレビを見るくらいしかなく、
ダウンタウンの笑ってはいけないシリーズの
再放送が流れていましたが、
もちろん誰も笑っていませんでした。
自らがアウトな状態だからです。
二時間半待って、
「インフルエンザでしょうね」
ということでした。予防接種したのですがと言うと、
それが功を奏してこの程度で落ち着いている
ということでした。
「検査しときますか?」と聞かれたのですが、
人がいっぱい待っているので遠慮しました。
で、喉と咳の薬をもらって帰って、
もう峠は越えたような感じらしかったので、
このまま寝ればすぐに治ると思いました。
けど、そんなに甘くはなく、熱はどんどん上がり、
三十九度近くなり、それ以降はこわくて
熱を測るのをやめました。
その後の数日間はずっと三十八度以上で、
寝ていて、気付いたら年を越えていましたね。
元旦
恒例行事の凧揚げにも行けませんでした。
ずっと布団の中でiPhoneをいじって、
漫画を作ったりしました。
夜になって少し体温が下がってきた、
といっても八度台の前半になっただけなのだけど、
熱のある状態に慣れてきて、いけるんじゃないかと思い、
お風呂に入りました。
これがまずかったのか、
夜半にかけて、ふたたび熱が九度近くまで伸びて、
入んなきゃよかったかも〜と思いました。
でも熱ってのはウィルスを退治するには、
出さないといけないから下げちゃダメらしいし、
デトックスにもなるし、たまには出した方がいいそうです。
いつか草津温泉へ行った時も、
帰って来て熱で寝込んだりしましたが、
きっと好転反応なんですよ、デトックスですよ。
二日
朝、うなされて起きると、体が軽い気がしました。
ついに七度を下回る体温でした。
あとそうだ、強羅で膝がガクガクしたのは、
おじさんだからじゃなくて、
インフルエンザだったからです。