読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる
小説集『突き抜け』のご購入はこちらから。



うまいサンマ。本の力。なめられない肩パット。

今日の夜に食べたサンマはとてもうまかった。
父が京急百貨店でいきなり買って帰ってきたらしい。
すごい新鮮だとでかい声で言っていただけあって、
うまかったな。あんかけ焼きそばも、
酢をすこしかけて、うまかった。
けど全部食べると十二指腸がいたむので、
三分の二だけ食べて、ごちそうさました。


それにしても、いま読んでいるこの本は、
いまのぼくに大きな影響を与えてくれている。

呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想

呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想

瞑想についての本は、これまで何冊か読んだのだけど、
そのほとんどが瞑想のやり方を中心にしていて、
なぜそれをするのか、どういう意味があるのかについては、
きちんと書いてあるものが少なくてもの足りなかった。
だけど、この『呼吸による癒し』はブッダの言ったことが、
丁寧に書いてあって、心に染み渡るような内容でした。


本って薬みたいなものだと思っていて、
自分にとっていい本が、他人にとってもいいとは限らない、
ということは言うまでもないですが、なんていうか、
そのときの自分の症状・状況と、本の効果がガッチリかみ合って、
すごい吸収率でてきめんに効いてるーってことがありますよね。
いまじゃなかったら、こんなに分からなかったみたいな。
すごく癒されたり、衝撃を受けたり、
視点が変わったり、視野がぐっと広がったり、
読んだあとに世界が違って見えるような。
そういう本が「いい本」なんだと思うけど、
となるといい本の条件は、
その本にとっていちばんふさわしい欠落みたいなのを、
読者がそのときに負っていることってことになるのかな。
じゃあ運じゃないか。と思ったけど、
吉本隆明さんの講演で運とか偶然って聞いた気がする。


四月になって落ち着いてきたような気がしますが、
まだ神経が過敏で、上がったり下がったり、
むずむずしたりして本調子じゃないです。
ところで、前回の日記でご紹介した
MapFan ニューロン」は、実は肩パットでした。
朝の混雑時の川崎駅は、人がぶつかって来るんです。
まるでぼくなんか存在しないかのように堂々と。
これはもう、ぼくがなめられてるからに違いないと。
それなら、ひと目でギョッとさせて、
決してなめられない恰好をしようということで、
なめられないものの代名詞として、
トゲトゲの肩パットを作ったのでした。
イメージは『北斗の拳』(読んだことない、こわいから)に
出てくるやつ。サングラスもかける。

こうなった。なんだこれ。
これにくらべて、イッセイ氏ときたらなんだ。
どう見ても、頭にかぶってるイッセイ氏の方が、
何倍もなめられない感じになっている。こわい。
いろんな意味で、なめたら危険みたいな。

きっとイッセイ氏の顔そのものが、
『北斗の拳』に出てきそうなんだと思います。
あとツイッターでコメントをいただいたのだけど、
聖衣(クロス)のようにも見て取れるし、
卒業写真で休んだ人(何かしら問題を抱えた学生)
のようにも見える。つまりはその、
佇まいから発せられる、受けての妄想を、
どんどん膨らませる得体のしれない力。
それがイッセイ氏のオーラなのだと思います。
かなわんわー。