3月後半の日記。今年の3月はそれほどひどくなかった。

最近、文章をよく書いている。
会社で特集記事を書いたり、メルマガを書いたり、
コードも書いたりしている。
家では、エクストリーム出社の原稿を書いたり、
文学フリマに向けて小説を書いたり、この日記も。
公私ともに書いている。書くのは楽しい。
自分なりにうまく書けるとうれしい。

3月21日(金・祝)

長く遊んでもらっている友人の
kasahiさんと春昆布さんの結婚式があった。
恵比寿のウェスティンホテル東京。
披露宴会場には百人を超える人がいて密度が高く、
陽性のエネルギーが溢れる素敵な空間だった。
ご親族と会社関係の方と学生時代のお友達が、
新郎新婦それぞれで大きなグループになっていて、
そこに第三の勢力という感じで、へもいっ子たちがいた。
http://instagram.com/p/l0AKNpiwoT/
新郎側の人たちも、新婦側の人たちも、
あの団体は何なんだろうと思っていたのではないか。
それくらいいた。中央にいた。だけど、
「新郎新婦はへもいっ子クラブのメンバーでして」
などと言ったら、親族の方々に
上京しておかしな新興宗教にはまってしまったのでは
と、しなくていい心配をさせてしまってはあれなので、
じっとしてお祝いしていて正解だったと思う。
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ふたりの証明書を掲げるぼく


やさしくて、おもしろくて、ふたりとも大好きです。
ふたりに笑ってもらえるのがなによりうれしいのです。
これからもずっとお幸せに。

3月22日(土)

円城塔さんと川田十夢さんのトークイベントへ行った。
日本近代文学館。駒場東大前から歩いた駒場公園の中にある。
http://instagram.com/p/l7Pm2wCwoY/
イベントは『超発明』という本の復刻記念だった。

超発明: 創造力への挑戦 (ちくま文庫)

超発明: 創造力への挑戦 (ちくま文庫)

復刻される前は1971年に発行されていて、
抽象的だったり哲学的だったりして現実離れした発明品の数々が、
真鍋博さんのイラストと文章で美しくおもしろく描かれている。
「三次元鉛筆」「移動眼球」「四角い卵」といった、
実現は無理そうな空想の発明品ばかりなのだけど、
発行から40年経って、実現化されているものもある。
道端ですれ違った人の顔などすべてを自動的に記録する
「ダイアリー・メモランダム」はライフログみたいだし、
「耳栓ろ過器」はノイズキャンセリングだし、
走った後に道ができる自動車「道路自動車」は、
カーナビの道路ネットワークを作るときの
手法みたいに思えたのだった。だから、
現実的なドラえもんひみつ道具事典といった感じ。
で、長く絶版になっていて古本で1万円超していたのが、
ちくま文庫で復刻されて740円だったので買った。
http://instagram.com/p/l7PgNlCwoQ/
本もおもしろかったのだけど、トークもおもしろかった。
小説家とARの開発者がお互いに質問をぶつけあって、
それに答えるスタイルでエキサイティングだった。
メモしたことを適当に書く。

・耳なし芳一はAR
 般若心経という無を表すコードは霊から見ると透明になる
・現実を受け入れるようになって悪夢を見なくなった
・スタンド(ジョジョの奇妙な冒険)は小説で書けない
 マンガ固有の表現なので受け入れられる(土台作り)までに
 時間がかかる。土台作りの功績。
・小説は書かなくていいものがある
 あとから設定を足したり、時系列を変えたり、
 小説にしかできないことがある。
・豪華客船につけられている気がする
・人間という実行系が抽象的なので複雑なものはできない
・GoogleMapのようなレイヤーで構成された小説
・自分が出てくる映像を何度も見せられると
 偽の記憶が作られる。
・自分の頭をあけてみて、脳みそがなかったら驚きますか?
・作為に付き合うのに疲れてきた。
・人間とはどこまで人間なのか、境界はどこまでか

こうして書くとよくわからないけど、意識や現実が、
ガタガタと音を立てて拡張されたように感じた。
しばらく言葉がでなかった。家に帰って昼寝して起きたら、
駒場公園も近代文学館もふわーっとした印象で、
夢だったような気がした。


偏愛文学館 (講談社文庫)

偏愛文学館 (講談社文庫)

倉橋由美子さん『偏愛文学館』を読んだ。
著者が愛した作品を美しく紹介していて、
例えが鍋や珍味や一品料理お酒の香りや味など味覚的で、
小説家の特技や背景など美食のお品書きみたいな本だった。
好きな小説がいくつか入っていたので、
並んでいるもの全部読みたくなったけど、
情報で太りそうだと思った。
私の名前は、高城剛。住所不定、職業不明

私の名前は、高城剛。住所不定、職業不明

情報で太りそうと思ったのは、この本で、
「情報デブ」「情報ダイエット」といった言葉を
目にしたからだった。高城剛さんの本には、
未来のことが書いてあるのでおもしろい。
価値観がぜんぜん違うし、その価値観に、
世の中が移行しつつあることもなんとなく感じる。
なんとなく感じていることがズバリ書いてあるから、
痛快なんだろうなと思った。もっと読みたい。

3月26日(水)

会社の同期のTさんの送別会があった。
川崎の鳥料理屋さんで、10人ほどで飲んだ。
ご家族が体調を崩され、実家へ帰って支えるとのことで、
いろいろなことが問題なくうまくいきますようにと思った。
転職をするから辞めるというのと違って、さみしいけど、
Tさんは誠実で技術があって、なにより親切で優しいので、
うまくいってほしいと思った。祈っています。

3月28日(金)

以前に取材を受けたフリーマガジンの
『HOT PEPPER』4月号が発行された。
http://instagram.com/p/mKI8pYCwlN/
自分でもおどろくような笑顔をしている。
文は石原たきびさんで、撮影は富井昌弘さんで、
撮影のときは、リクルートの編集者の方もみなさんで、
大田市場に行ったのだった。それがとても楽しくて、
このような全開の笑顔になったのだった。
「エクストリーム・スマイル」と言ってくださった
富井さんはどんなお仕事をされているのだろうと、
検索したら「小栗旬ファースト写真集」がヒットして、
マジパないと思った。

3月29日(土)

去年も誘っていただいた高架橋脚とかを
眺めながら歩く人たちのお花見に行ったのだった。
http://instagram.com/p/mHcRVPiwst/
大船のフラワーセンターというところ。
桜は咲いていなかったけど、いろんな種類の花が、
見頃を迎えていてとても美しかった。
レジャーシートを敷いて各自持ち寄ったものを食べた。
1時間ほどしてトイレに立って園内をふらふら歩いていたら、
木蓮を見上げているおばあさんがいた。
散歩には大げさなハイキングのような格好で、
白いソフト帽をかぶっていた。何人かで来たのか、
ひとりで来たのかわからないけど、
静かに木蓮を見上げているおばあさんを見ていたら、
鼻の奥がツンとした。


鳩のマスクを持ってきた人がいて、菜の花の前で撮影会をした。
http://instagram.com/p/mHiJB5iwhb/
みなさん、陽気でおもしろくて、
しみじみ楽しかった。来てよかったと思った。
家に帰って水彩画を描いた。
http://instagram.com/p/mIJhbhCwlr/

3月31日(月)

笑っていいともが最終回だった。
テレフォンショッキングに出るのが夢だったのだけど、
叶わないまま終わってしまった。
タモリさんにもっとも近づけたのは、
5年前の「夏のそっくりさんコンテスト」で、
そっくりさんを紹介する人として、
フリップを持ってアルタの舞台に出たときだった。
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メインは松坂大輔にそっくりな後輩なのだけど、
ぼくが扉を開けて舞台に出たときに、
「おお!?」
とタモリさんが言って、
変なやつが出てきたぞみたいな感じで、
サングラス越しのやさしい目で、
ぼくのことをおかしそうに見てくれたのが大変な感動で、
関根さんがぼくに付けてくださった
「2時間おきに目が覚めます」
というキャッチフレーズがほとんど耳に入らないくらい、
感動したのだった。


31日のグランドフィナーレを見て、
タモリさんの最後の挨拶を書き起こした。

出演者、スタッフのおかげで32年間、無事やることができまして、
まだ感慨というのがまだないんですよね。
ちょっとホッとしただけで、
来週の火曜日ぐらいから来るんじゃないかと思います。
もう明日もアルタに行かなきゃなりません。
楽屋の整理があります。私物がいっぱい置いてありますので。

みなさんのおかげで本当にここまでくることができました。
まー、考えてみれば、あのー、気持ちのわるい男でしてね。
こういう番組であの以前の私の姿を見るのは私大嫌いなんですよね。
なんか、こう気持ちがわるい。この……、濡れたシメジみたいな感じ。
なんかこう、いやーな、この、ぬめーっとしたようなあの感じで、
本当に嫌でして、私いまだに自分の番組見ません。

またそれで、性格が当時ひねくれておりましてね、
不遜で、生意気で、世の中舐めくさってたんですね。
そのくせ何にもやったことないんですけども。
これがどうしたわけか、初代の、亡くなられました、
横澤プロデューサーから仰せつかりまして、
ま、だいたい3ヶ月か半年ぐらいで終わるんじゃないか
と思ってたところが、この32年になりまして。
まあ生意気なことでやってたんですけども、
その長い間に視聴者の皆様方がいろんなシチュエーション、
いろんな状況、いろんな思いで、ずーっと見てきていただいたのが、
こっちに伝わりまして、私も変わりまして、
なんとなくタレントとして形を成したということなんです。

で、皆様方、視聴者の皆様方から、
私にたくさんの価値を付けていただき、またこのみすぼらしい身に、
たくさんのきれいな衣装を着せていただきました。
そして今日ここで皆様方に直接お礼を言う
機会がありましたことを感謝したいと思います。
32年間、本当にありがとうございました。お世話になりました。

この挨拶を聞いて思ったのは、笑っていいともは、
タモリさんの成長物語だったのだなということだ。
赤塚不二夫さんの「これでいいのだ」という肯定の言葉が、
自分に言い聞かせるタイプのものだとしたら、
「いいとも」は、自分だけではなく、
相手に対して呼びかけるタイプの肯定の言葉で、
そこには次元が増えるくらいの大きな上昇があると思った。
"不遜で、生意気で、世の中舐めくさってた"状態から、
視聴者からのたくさんの肯定の「いいとも」という呼びかけ、
つまり愛を受け取り、それを循環させ、タモリさんは変わり、
いまのような穏やかで立派な感じの人になったのだなと。
その成長物語を毎日、月~金と増刊号で繰り返し見ることで、
視聴者も知らず知らずに成長してきたのではないだろうか。


いいともは終わってしまったけど、
まだタモリ倶楽部があるので諦めずにがんばろう。

連休中のこと。

九連休だったのだけど、基本的に家にいて寝ていた。
旅行へは行かなかった。出かけるのも疲れてしまう。
明け方まで読書をして昼まで眠って、喫茶店へ行き、
夕方にジムで運動。よろよろ家に帰ってくる。
体と神経を充分に休ませることができた。
http://instagram.com/p/lZCXeBCwgw/
毎日、何かしら送られてきた。
amazonに注文した本や、友人からのプレゼントや、
エクストリーム出社が特集された掲載誌など。
それらを机の上に置いて、昼寝の合間に見たり、
お返事を書いたりしてすごした。


以前に名古屋や東京でお会いしたKさんが、
手作りの本を送ってくださったのだった。
製本をご自身で手がけた限定十冊のうちのひとつ。
手作りの本を手にするのは初めてだったのだけど、
本の各所に込められている念のようなものの、
総合的なエネルギーが両手の中で膨らんで、
やさしく、背筋が伸びる感じがした。
http://instagram.com/p/lcrsMcCwgs/
収められている小説もおもしろく、
内容が本そのものとリンクして感動して、
とても励みになったのだった。

3月13日(木)

船橋を散歩した。
円形の道路があるというので歩いてみたのだ。
そのあと神保町まで移動して、古書店を廻って、
欲しかった本を手に入れた。
http://instagram.com/p/lehsNKiwtQ/
帰宅ラッシュになる前に家に帰った。
しばらくすると嵐になった。強い雨と風。
この日は両親が旅行に出ていて、ぼくと妹だけだったので、
宅配寿司を注文したのだった。嵐なので気が引けた。
約十五分でインターホンが鳴ってドアを開けると、
高校卒業したぐらいの女の子が、
びしょ濡れのカッパで立っていて、
かわいそう! と思ったけど、声はとても元気で、
「こちらサービスの粗汁です!」
と言って、ポーチからビニールでぐるぐる巻きにした、
カップを慎重に取り出してくれた。
魔女の宅急便がオーバーラップして、
少女が去ったあとも、暗い玄関の冷たいドアに向かって、
しばらく茫然としていた。
粗汁を取り出すときの、ぼくの目など気にせずに、
真剣に俯く女の子の頬ぺたの赤さが印象に残って、
よりによって極上寿司かよ! と思った。
http://instagram.com/p/lescqCCwln/
超うまかった……。

3月14日(金)

会社へ少しだけ行った。
今年のホワイトデー担当だったのだ。
同僚の女性社員に、グループの男性たちを代表して、
お菓子のお礼をするので、
前日の晩にクッキーを七十枚焼いて、
十二枚ずつ袋詰めして持って行った。
クッキーを置いてすぐに去った。
http://instagram.com/p/lfOQxxCwqW/
会社を出て、とくにすることがなかったので、
京急の大師線で川崎大師へ行ってお詣りした。
そのあと、家の近所の公園のベンチに腰を下ろした。
喉が少しかわいていたのだけど、自販機で売っているのは、
甘すぎたり、冷たすぎたり、濃すぎたりして飲む気がしない。
気持ちにいちばん寄り添ってくれそうな飲みものは、
白湯だったのだけど売っていないので、あきらめて帰った。
http://instagram.com/p/lglA-wiwoO/

3月15日(土)

YUさんがアンディ・ウォーホル展の
チケットをくれるというので森美術館へ出かけた。
その前にワタリウム美術館へも行ったのだった。
http://instagram.com/p/llvDXyiwsp/
齋藤陽道さんの写真展。この日が最終日だった。
齋藤さんの写真は、どれも愛おしいものだった。
それでいて、切なくて、さみしい感じもしていた。
齋藤さんは耳が聴こえないそうだ。
美しい楽器の写真、演奏する人の写真などもあった。
音を聴くことができない人にとっての楽器は、
音を聴くことができるぼくにとっての何だろうと思った。
たとえば、味わったことのない食べものの写真?
かと思ったけど、それは違う、味覚があるから。
聴覚がない人にとっての音って、
霊感がない人にとっての霊みたいなものかもしれない。
霊はあるかないかわからないけど、音はあるのだから、
あるものがないことになるということは、
どんな感じなのだろうと思って写真を見た。


ぼくがいちばんぐっときたのは、
五歳くらいの女の子が飴を舐めている口を開けている写真。
彼女の柔らかいからだや、それを包むやわらかい服、
甘いと感じているであろう味覚、
作者には聴こえないはずの音などすべて、
いま・ここが全力で愛しく思えてくるのだった。
そして瞬間や生命ってとても儚くて、
ふよふよしていて、輝いている。
齋藤さんの言葉が壁に書いてあって、
そこにあった「黄金の光に向かうシャボン玉」というのは、
ああ、これのことなのかなと思った。


そのあと、森美術館でアンディ・ウォーホル展。
こちらはすごい混雑で、ゆっくり見れる感じではなかった。
アンディ・ウォーホルが書いた本、
『ぼくの哲学』を事前に読んでいたこともあって、
なるほどなあと思って見た。さみしさをたくさん感じた。
さみしさや虚しさが広く蔓延したから、
ポップがそれになったのだろうなと思った。
facebookやTwitterでパーティーの様子を公開して、
コピーが可能な写真を大量に流しまくっている。
ブログに自分の生活を書いて切り売りする。
ウォーホルのやっていたことが、
より強く浸透して一般化してるようだと思った。


五反田の居酒屋「それがし」で、
つしまさんと合流して日本酒を飲む。飲みすぎる。
西小山へタクシーで移動して、YUさん行きつけの店で、
うまい担々麺を食べて帰った。

3月16日(日)

ぐったりしてすごす。
原稿を書き終えて、ジムへ行って運動。
http://instagram.com/p/lmg0M1CwuF/


食べすぎだとわかっているのに食べて、
運動もしないでいると肥満になって、
具合がわるくなってよくない。
ということはわかるのだけれど、
何かを書いたり作ったり、アウトプットをしないで、
本を読んだり、映画を見たり、展示を見に行ったり、
インプットを続けてしまうことについては、
よくないと感じていなかったと思った。


体と同じく、頭も肥満するのだろうか。
インプットしたものはきちんと消化して、
食べた分は運動でカロリーを消費するみたいに、
汗をかいて何かしらの形にアウトプットするのが、
自然なのだろうなと思った。


食べものや、情報にかぎらず、愛情もそうだと思う。
自分からも対象を定めて愛していかないと、
愛情の肥満のようになる気がしている。
足りているのに、愛を貪っていると、
愛の循環のさせ方がわからなくなる。
そんな気がしている。
体を動かそう、頭を動かそう、心を動かそう。


http://instagram.com/p/lhepo6Cwq0/

よく飲んでいる。R25、教員飲み会、たのしい高円寺、かに道楽、ゲシュタルト療法

2月28日(金)

半年ほど通った小説教室が終わって、
その修了式のような飲み会が有楽町であり、先生を囲んで、
ビールをがぶがぶ飲んで、結局朝まで何人かでカラオケにいた。


教室に通うことで、小説を書く技術が、
めきめきと上達したかというとあれだけれど、
実際に小説を書いて暮らしている先生の話を聞いたり、
別の仕事をしながら小説を書いている同窓生と触れ合うのは、
小説を書こうという気持ちが萎んで忘れ去ってしまうのを、
防ぐのにとてもよかった。つねに「何を書こう」とか
「どう書こう」といったことを考え続けてきた気がする。
そして、先生から「考えすぎ」「インプット過多」という、
ありがたいお言葉を二ついただけたので、それだけでも、
教室に通ったことの意味は大きかったといえる。


銀座のあたりで解散となって、みんなは有楽町へ行った。
ぼくだけ東海道線で帰ると言って新橋へ向かった。
そこまで全然平気だったのに、電車に乗った途端、
気持ちがわるくなって途中下車を何度かして家に帰った。

3月1日(土)

5時間ほど昼寝をした。それからジムで運動をして、
オカンダと上大岡で会った。目的はなく適当に歩き出し、
上大岡から春日神社へ行って参拝。日野中央公園を抜けて、
母校のあたりを歩いていたら、七時頃になったので、
ハングリータイガーというステーキハウスに入ろうとした。
http://instagram.com/p/k_tqW_CwsM/
が、土曜の夜は家族連れがわんさか押し寄せて、
満車の駐車場の前にクルマが何台も詰まっている状態で、
まったく入ることができずにやめた。
ぼくも小学生の頃の土曜の夜は家族でクルマに乗って、
あさくまへステーキを食べに行ったのを思い出して、
懐かしい気持ちになった。結局、伊勢福にした。
伊勢福は蕎麦屋だけど、蕎麦以外にもいろいろやっている。
料理の値段はどれも千円を越えてちょっと高いけれど、
味がうまいので文句はない。一階は二十席くらいの、
広々とした造りで、いつも地元の常連らしき人がいて、
上品にお酒を楽しみながら、店の人と世間話をしていたりする。
http://instagram.com/p/k_6ApcCwm1/
牡蠣フライ定食にした。やっぱりうまかった。家に帰って、
依頼されていたエクストリーム出社の原稿を書いて、
読み途中の『スミヤキストQの冒険』の続きを読んで寝た。
おもしろい。次回の文芸漫談のテーマがこの作品なのだ。

スミヤキストQの冒険 (講談社文芸文庫)

スミヤキストQの冒険 (講談社文芸文庫)

幻想的な話なので、これを読んでから布団に入ると、
引き続き幻想的な夢を見ることが多い気がする。それと、
猫の顔の描かれたトレーナーを寝間着にしているので、
猫の夢を見ることが多くなったのは、たしかにそうだ。

3月2日(日)

昼前に起きて、ぬるくなった湯船で半身浴をしながら、
本を読むことのが最近の好みで、よくやっている。
自室で線香をたいておくと、冷たい空気が、
浴室の天井に付いた換気扇に吸い込まれていく過程で、
ぼくの鼻先をくすぐっていくのだけど、
ぬるいお湯の感触と線香の匂いが合わさると、
山口県にある祖父母の昔の家を思い出させて、
それは長期の休みで家族で滞在していたところなので、
とても落ち着くのだった。冷たい空気は、
城跡だった裏山から迫ってきたのものだと思う。
合戦場だったこともあって、祖父は襲ってきた女の幽霊を、
柔道で投げ飛ばしたら、畳の下に消えていったらしい。


夜におのしゅうさんに誘っていただいた飲み会へ行った。
茅ヶ崎駅でおのしゅうさんと待ち合わせてけっこう歩いて、
本当にこんなところに飲み屋があるのだろうかという、
静かな住宅街の奥に突然、テラスのある洒落た洋風の建物があって、
入ると天井が高く開放感があり、ビアホールのようだと思った。
敷地内には酒造があり、作りたての湘南の地ビールや、
ビール酵母を材料にして作ったパンも味わうことができる。


会は合コンのようなかたちだった。
おのしゅうさんの前の職場の同僚だったOさんと、
Oさんの奥さん、奥さんの同僚の女子の方々。
男子は、Oさんとおのしゅうさん、
おのしゅうさんの同僚の体育教師のYさん。
ぼくを除く全てのメンバーが理科や体育や国語の
教員という特殊な環境で、学生のときから、
先生に対してあまり打ち解けてこられなかったぼくは、
はたしてうまく振る舞えるだろうかと心配していたのだけど、
実際に話をすると教員であることはほとんど気にならなかった。
あのおのしゅうさんだって教員なのだということを忘れていた。


会場の雰囲気が大変によく、日曜の夜という時間帯と、
静かな住宅街の奥にあるという場所的な要因もあって、
リラックスして存分に楽しんだのだった。
やはり素敵だったのは、O夫妻のやりとりというか、
二人から発せられる張りのあるオーラのようなもので、
ああ、結婚とはいいものだなあと思ったのだった。
相変わらずおもしろい話を連発するおのしゅうさんと、
若くて元気な体育教師Yさんの受け答えとかが、
会の中で見事にくるくると回転して、ビールのおいしさと、
みなさんの人柄に酔って、ひたすらに感動したのだった。
この会のあとに、ぼくはこんなつぶやきをしていた。

霊や野ざらしの骨にでもなった気持ちで、
人が幸せそうにしているのを静かに眺めているのが、
なによりうれしい。

ここ数ヶ月こういう気持ちが持続している。
ありがとう。
http://instagram.com/p/lH4HzwCwk4/
http://instagram.com/p/lKUTtzCwj-/

3月6日(木)

自分が載ったリクルートの『R25』が発行された。
「あの7人がたどりついたビジネスバッグの"最適解"」
という特集で、エクストリーム出社をするビジネスマンとして、
バッグの中味を公開したのだった。おどろいたのは、
チームラボの猪子寿之さんや、投資家の瀧本哲史さんと、
同じページに大きく載っていたことで、恐縮した。
誰なんだよ、この椎名ってのはってなっていそう。
http://instagram.com/p/lVPQiCCwiN/
あちこちの駅やコンビニなどで配布されている
フリーペーパーに自分が載っているというのは、
変にむずむずするものを感じるのと同時に、
少し愉快な気持ちもある。どちらにしても、
引き受けてよかったことだと思う。ありがたい。


夜に浜松町。旅行雑誌でエクストリーム出社の、
特集のページを作ってくれることになって、
担当者の方と打合せをしたのだった。あまやんさんと、
SBクリエイティブのUさんで話が弾み、よい感じだった。
そのあとに、来ていただいた東雲さんと打合せ。
三月からYahoo!の中にあるスポーツナビDoというサイトで、
エクストリーム出社協会の連載が始まっていて、
四月からどのようなテーマで記事を書いていくかを、
相談したのだった。サイトの特性と連載という形式から、
季節や時事を扱ったスポーツ系の記事を書くとしても、
いろいろ考えないといけないことが多いのだけど、
自然に楽しみながらやりたい。

3月7日(金)

会社帰りに、上司に誘われて飲みに行った。
オフィス正面の二十秒ほどで着くイタリア料理店。
会社の部長と飲みに行くことはほとんどなく、
何を話してよいかわからずに緊張していたのだけど、
ワインを適当に頼んでと言われて、
うまそうだと思ったワインをボトルで次々頼んだ。


四人(ひとりは途中で帰宅した)で、白ワイン、赤ワイン、
スパークリングワインを一本ずつ飲んだころには、
緊張は解けて、いろいろしゃべっていたが、
何をしゃべったかはあまり覚えていない。
ただ、会計の紙を見たときに結構な金額になっていて、
青くなったことは覚えている。いいワインを頼みすぎた。
しかし、部長と上司と来ていたため、ぼくは四千円で済んだ。
このような会社の飲み会なら頻繁に出たいと思った。

3月8日(土)

軽い二日酔いで昼前に起きて、半身浴をして読書をした。
ゴーゴリの『外套・鼻』を読んだ。

外套・鼻 (岩波文庫)

外套・鼻 (岩波文庫)

この前、『すばる』に掲載されていたいとうせいこうさんの
『鼻に挟み撃ち』という短篇を読んでおもしろかったのだけど、
この小説は、ゴーゴリの『鼻』と後藤明生氏の『挟み撃ち』を、
モチーフにしていて、さらに『挟み撃ち』はゴーゴリの『外套』を、
モチーフにしているとのことだから、これらを読まないと、
『鼻に挟み撃ち』のどこがとくにすごいのかよくわからないので、
とりあえず、関係があるとわかっているものを読んでいる。
すばる 2013年 12月号 [雑誌]

すばる 2013年 12月号 [雑誌]

挾み撃ち (講談社文芸文庫)

挾み撃ち (講談社文芸文庫)

ただ、読んでばかりだと書く時間がないので気をつける。
またインプット過多で考えすぎになってしまう。
ぼくみたいな賢くない脳は、考えれば考えるほど、
よくない方向へ行ってしまって、よくない気がしている。


十二時に家を出て、高円寺へ向かった。
智さんと落語を聴いたのだった。
立川吉笑さん、笑二さん、笑笑さんの勉強会的な落語会。
庚申文化会館のワンフロアにパイプ椅子が四、五十ほどあって、
それらが全部埋まっていた。予約をしておいてよかった。
笑二さんが二席やって、合計四席。どれもすごくおもしろかった。
とくに吉笑さんの新作落語がシュールで文学的な感じがした。
勉強会なので、新しい落語を考えて実験的に発表しているそうで、
初めてやるものだから当たり外れが大きいと言って、
笑いが起こっていた。そのときのは「社交辞令」というネタで、
「今度、飯でも行こう」という社交辞令を、
真に受けて騙されたと腹を立てた男が、
社交辞令で仕返しをするというもので、言葉や認識をめぐって、
どんどん突き詰めておもしろくなっていくものだった。
また聴きに行きたいと思った。


落語が終わって駅前のガード下にある古本屋を覗いて、
何冊か本を買った。

ウォーホル日記〈上〉 (文春文庫)

ウォーホル日記〈上〉 (文春文庫)

アンディ・ウォーホルの日記を家に帰ってamazonで調べたら、
古本でもっとも安くて千円以上している。ぼくは五百円で買った。
こういうとき静かな満足感が胸にじわじわ広がる。


古本屋のあと、商店街を抜けて新井屋という焼肉屋へ行った。
が、開店前だったので、二階の読書カフェのようなところに入って、
コーヒーや柚子茶を飲みながら読書をして時間を待った。
部屋は薄暗く、古めかしい木製の勉強机が並んでいて、
観葉植物が茂って水のちょろちょろという音しかせずに、
ものすごい静けさで、咳をする人もいなかった。
ぼくは静かすぎる空間になると逆に緊張して、
足音ひとつにも神経をつかって、スローロリスのような動きで、
コーヒーを飲んで、さっき買った本をめくったりした。


五時になったので焼肉屋に入った。お酒は控えめにして、
売れてる部位ランキング二月版というのが壁に張ってあったので、
それを一位から順に注文した。それが間違いないと思う。
実際に間違いなく、どれもこれも激しくうまかった。
http://instagram.com/p/lR-iL3Cwpx/
しかもお腹いっぱい食べても金曜の晩のように高くなく、
とても満足したのだった。智さんがとてもおもしろかった。
店を出て、まだかるく飲みたい感じだったので、
アイリッシュパブに入ってカクテルなどを飲んで、
終電で帰ってきた。ずっと笑いっぱなしの楽しい日で、
多幸感に包まれて寝たのだった。ありがとうございます。
高円寺すごくいいですね。

3月9日(日)

昼前に起きて、半身浴をして読書をした。
ぼんやりしている間にamazonから本がぽつぽつ届く。

自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術 (朝日新書)

自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術 (朝日新書)

この本は疲れについてとてもよく書かれていると思った。
高校のときや、二十代のときに定期的に神経をわるくして、
心療内科に通ったことがあるのだけど、その通りだと思う。
よく休息すること。体からのシグナルをきちんと認識すること。
別人のようになる前に食い止めることなどなど。
そうそうと深く頷くようなことがいっぱいだった。
とくになるほどと思ったのは次の箇所だった。

「対人不安」、「怒り」、「自信のなさ」、「自責」は相互に関連し、
雪だるま方式でムダな感情が増幅してしまいやすい。
現代人がうつ状態になるとき、ほとんどの場合、
この四つの感情が、苦しみの主体になっている。
この四つの苦しみの背景にあるのは、
経験の乏しさによる「価値観の未熟さ」だ。
例えば、他人や世の中を変えられると思っている。
例えば、自分は周囲から大切に扱われるべきものと思っている。
例えば、努力すれば必ず報われると思っている。
例えば、正義は必ず勝つと思っている。

いろいろ諦めてから、ずいぶん楽になった。
諦めるというとネガティブに聞こえるかもしれないので、
受け入れるといった方がいいだろうか。
できないことはできないし、やりたいことしかできない。
そうなったら働けないじゃないかとなったら、
仕方ないから働かずにいることになると思っている。
収入がないなら、親戚の家で何かしたり、
それもだめになったら、路頭に迷って、
のたれじにするのも自然で仕方ないかと思っている。
生まれて生きて死ぬだけ、生き方にいいもわるいもない。
いまのところ毎日楽しく、うまいご飯を食べてお酒を飲んで、
素敵な人たちと会って、暮らすことができている。
といっても、恵まれている今だから、
いろいろ言えることなのだと思う。


二時半に、地元の友人オカンダと遊んだ。
小学生の頃からの友人ということもあり、
小学生の頃に「大人がやることだ」と思っていたことを、
いい大人(三五歳)になった今、順にやっていくことにした。
まずは港南区の住民なら誰もが目にしていながらも、
中に入ることはほとんどない港南ゴルフセンターへ行って、
ゴルフの打ちっぱなしをした。まさに大人のすることだ。
http://instagram.com/p/lT6YFviwiP/
http://instagram.com/p/lT6eYniwiW/
それから横浜市営地下鉄で桜木町まで行って、
マリンタワーへ上った。マリンタワーというシンボルも、
横浜市民からすると近くて遠い存在だったりすると思う。
近くて遠い存在は、妄想を膨らませる原因になる。
ぼくとオカンダが言う「近くて遠い存在」というのは、
つまり、子どもの頃に目にしていながら、
子どもには立ち入ることのできない場所(タブー)と言える。
http://instagram.com/p/lVASLVCwmd/
表面的なインプットの種は蒔かれるが、
その実体を確認することはできない。
すると壁の向こう側で、妄想が芽が育ち始める。
大木のようになった妄想は、現実と比較するまで、
下手をすると自分の傷や負い目になることだってありえる。
大人になった今、妄想と現実の答え合わせをすることで、
認知の修正を行い、現実世界での平衡感覚を獲得するのだ。
http://instagram.com/p/lU_ZWOCwks/
子どもの自分の傍らに、大人の自分が立ってやり、
一緒に妄想のお焚き上げを見守って、精神の統合を図る。
要するにF.S.パールズのゲシュタルト療法のようなものだ。


この日最後の闘いの舞台は「かに道楽」伊勢佐木町店だった。
http://instagram.com/p/lUW-88CwsO/
大ボスであるカニのオブジェを見上げ、
「ついに来たな」とお互いに士気を高めていると、
入口の自動ドアが開いて、白髪の男性が、
若い女性の肩に手をかけて出てきたのだった。
「同伴!かに道楽のイメージ通り!」
と絶叫しそうになるオカンダ。
妄想は現実とは違うんだと、妄想を成仏させるどころか、
まったく妄想通りの先制攻撃を受けてしばらく立ちすくんだ。
しかし、中に入ってからは終始我々のペースで、
妄想の回収が捗った。かに道楽は、イメージ通りでもあり、
そうでもないところもあった。
http://instagram.com/p/lWnUvpiwgh/
エクストラコールドを二杯。日本酒を一合。
カニはコース料理で、天ぷら、茹でたもの、刺身。
カニ味噌、カニ豆腐、カニの炊き込みご飯と、
かに道楽を完璧に堪能したのだった。うまい。
ひとり一万円したが、精神分析を受けたものだと思えば安い。
危惧せず立ち向かい経験をすること。それが大切なのだ。

『偏愛文学館』(倉橋由美子)で紹介されている小説一覧

偏愛文学館 (講談社文庫)

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夢十夜 他二篇 (岩波文庫)

夢十夜 他二篇 (岩波文庫)

灰燼 かのように―森鴎外全集〈3〉 (ちくま文庫)

灰燼 かのように―森鴎外全集〈3〉 (ちくま文庫)

半七捕物帳〈1〉 (光文社時代小説文庫)

半七捕物帳〈1〉 (光文社時代小説文庫)

鍵・瘋癲老人日記 (新潮文庫)

鍵・瘋癲老人日記 (新潮文庫)

冥途・旅順入城式 (岩波文庫)

冥途・旅順入城式 (岩波文庫)

雨月物語 上 (講談社学術文庫 487)

雨月物語 上 (講談社学術文庫 487)

雨月物語 下 (講談社学術文庫 488)

雨月物語 下 (講談社学術文庫 488)

日本古典文学大系〈第56〉上田秋成集 (1959年)

日本古典文学大系〈第56〉上田秋成集 (1959年)

山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫)

山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫)

火車 (新潮文庫)

火車 (新潮文庫)

百物語 (新潮文庫)

百物語 (新潮文庫)

聊斎志異〈上〉 (岩波文庫)

聊斎志異〈上〉 (岩波文庫)

聊斎志異〈下〉 (岩波文庫)

聊斎志異〈下〉 (岩波文庫)

蘇東坡詩選 (岩波文庫 赤 7-1)

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魔の山 下 (新潮文庫 マ 1-3)

魔の山 下 (新潮文庫 マ 1-3)

魔の山 (上巻) (新潮文庫)

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カフカ短篇集 (岩波文庫)

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アルゴールの城にて (岩波文庫)

アルゴールの城にて (岩波文庫)

シルトの岸辺 (ちくま文庫)

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異邦人 (新潮文庫)

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恐るべき子供たち (岩波文庫)

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アドリエンヌ・ムジュラ (1979年) (ジュリアン・グリーン全集〈1〉)

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名士小伝 (冨山房百科文庫)

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コスモポリタンズ (ちくま文庫―モーム・コレクション)

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偽のデュー警部 (ハヤカワ・ミステリ文庫 91-1)

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高慢と偏見〈上〉 (岩波文庫)

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高慢と偏見〈下〉 (岩波文庫)

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サキ傑作集 (岩波文庫 赤 261-1)

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太陽がいっぱい (河出文庫)

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世界の文学〈15〉ウォー,ウィルソン (1977年)ピンフォールドの試練 アングロ・サクソンの姿勢

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めざせダウニング街10番地 (新潮文庫)

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リオノーラの肖像 (文春文庫)

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ブライヅヘッドふたたび (ちくま文庫)

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二十四の瞳 (新潮文庫)

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山の音 (新潮文庫)

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ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

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怪奇な話 (中公文庫 A 50-6)

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海市 (新潮文庫)

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真夏の死―自選短編集 (新潮文庫)

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楡家の人びと (上巻) (新潮文庫)

楡家の人びと (上巻) (新潮文庫)

楡家の人びと (下巻) (新潮文庫)

楡家の人びと (下巻) (新潮文庫)

高丘親王航海記 (文春文庫)

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金沢・酒宴 (講談社文芸文庫)

金沢・酒宴 (講談社文芸文庫)

茨木のり子と吉幾三を混ぜてみてわかったこと

結論から言うと、
混ぜても何もならないということがわかったのだった。

「時代おくれ」茨木のり子

車がない
ワープロがない
ビデオデッキがない
ファックスがない
パソコン インターネット 見たこともない
けれど格別支障もない

そんなに情報を集めてどうするの
そんなに急いで何をするの
頭はからっぽのまま

(中略)

旧式の黒いダイヤルを
ゆっくり廻していると
相手は出ない
むなしく呼び出し音の鳴るあいだ
ふっと
行ったこともない
シッキムやブータンの子等の
襟足の匂いが風に乗って漂ってくる
どてらのような民族衣装
陽なたくさい枯れ草の匂い

何が起ころうと生き残れるのはあなたたち
まっとうとも思わずに
まっとうに生きているひとびとよ

この詩を読みながら、次の歌のメロディが浮かんだ。

「俺ら東京さ行ぐだ」吉幾三

テレビも無エ ラジオも無エ
クルマもそれほど走って無エ
ピアノも無エ バーも無エ
おまわり毎日ぐーるぐる

朝起きて牛連れで
二時間ちょっとの散歩道
電話も無エ ガスも無エ
バスは一日一度来る

俺らこんな村いやだ 俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ
東京へ出だなら 銭コア貯めで
東京で牛飼うだ

(以下略)

はじまりがとてもよく似ている。
これらを合体させてみると次のようになった。

「俺らブータンさ行くだ」

ハーァ!
テレビも無エ ラジオも無エ
クルマもそれほど走って無エ

ピアノも無エ バーも無エ
おまわり毎日ぐーるぐる

朝起きて牛連れで
二時間ちょっとの散歩道
電話も無エ ガスも無エ
けれど格別支障もない

俺らインターネットいやだ 俺らインターネットいやだ
ブータンへ出るだ
ブータンへ出だならどてらのような民族衣装着て
枯れ草の匂い嗅ぐだ

こうして、ふたつの詩をミックスすることにより、
なにか深いものが得られたような気持ちになったのだが、
あらためて読み直すと、深いものは、
茨木のり子さんの詩の方にだけあって、
わざわざ「俺ら東京さ行ぐだ」を、
合わせる必要がなかったことがわかったのだった。

結論:茨木のり子さんの詩だけ読めばいい