ジムで走って、マシンで筋力トレーニングをして、
プロジェクトマネジメント学会の年会費を払い込んでから、
家で「ゲド戦記」のDVDを観たり、本を読んでいました。
「ゲド戦記」は、なんと言うか、
「ゲド戦記」を映画化する課題を与えられた人が、
環境やスタッフは十分に与えられたうえで、なんとか形にしたような、
そんな雰囲気を感じて、非常に退屈でした。
とくに中盤から終わりにかけてが、ひどかったと思います。
話や展開にも無理があるように思いますし、
台詞に説明が多すぎますし、演出で表現しないといけないことを、
言葉で説明してしまっていますし、伏線みたいなのがないので、
意味が分かりませんでした。
宮崎駿監督が以前、
テーマが簡単に抽出されてしまうような映画は、うさんくさい。
というようなことをNHKのドキュメンタリーで言っていましたが、
「ゲド戦記」は、テーマを全部言葉で語ってしまっていますし、
誰に向けて作った作品なのかもよく分かりませんでした。
深くて言葉で表現できないもの、
哲学とか宇宙とかいった、普通のお客さんや子供たちには、
苦くて飲めないもの(本物のテーマ)を伝えるためには、
エンタテインメント性、かわいいキャラクターやギャグを散りばめた
わかりやすい「物語」として、砂糖でコーティングするようにして、
飲ますしかないと思うのです。
そして糖衣が溶けてきたときに、内側から得体の知れない感動、
潜在意識に働きかけるものが効いてきて、
理由の分からない涙が溢れたりするのです。
そういうことがすごく上手いのが宮崎駿監督というか、
それが芸術家というか表現者の方の仕事、
与えられた天命だと思うのです。
内側から人を変えて、人類に連鎖していく喜びみたいなものが、
世界のレベルを上げると思うのです。
宮崎吾郎監督は、それができていなかったように思い、
「ハウルの動く城」とか「もののけ姫」を改めて鑑賞したくなりました。
結局、宮崎駿ってすごいなってことになりました。
それから「プロフェッショナル仕事の流儀」のビデオも見ました。
どんな仕事も人の心を動かすことだと思いました。
花火職人のプロフェッショナルは打上げ花火を通して、
肝臓がんの外科医は世界最高レベルの手術で、
ワインのソムリエはお客さんに最高のサービスを提供することで、
企業経営者は、社員の心を動かして力を引き出すことで。
それをしないというのは、
本人にとっても、本人が所属する組織、さらには人類において、
損失以外の何物でもないと思いました。