考えたくなかったのか

お盆休み中、ずっと遊び回って、
何もしなかった日がなかったのは、変でした。


朝はジムへ行って、昼はふらふらして、
夜に落ち着かなくなって、映画のレイトショーに行って、
「今日は、おとなしくしていたら」
と家人が言うのですが、次から次へと予定を入れて、
動き回っているのは、考えたくなかったからではないだろうか。



土曜日にライブで出し物をする予定ですが、

スガアザラシさんに見て頂きたかったです。
ミクシィで僕の紹介文を書いて下さっていました。

ちょっと今までの知り合いでは
あまり居なかったタイプ。
人を唖然とさせたり不安にさせたりする才能は
天下一品だと思います。
ヘンなベクトルに行動力がすごい。なんなのよアンタ。


僕のやることや、ブログについて、
スガアザラシさんがよく、
「オレはおもしろかったけど、他の子は置いてけぼりでいいの?」
的なことを言ってくれました。



生きることとは何なんだろうとか、

生活とは何なのだろう、仕事とは何なのか、恋愛とは、お金とは、
そういった物事について、気付いたら考えています。


これまでも、そういったことを考えて、
「宇宙」とか「生活」とか思っていましたが、
身近な人が亡くなったことを前にしたら、
「宇宙」も「生活」も、虚しいものに感じました。
祖父がなくなったのとは違いますし、
同年代で、これまで近くで元気だった人が、
一瞬で亡くなったことは、脇にそっと置いていようと思っても、
急に立ち上がりたくなるような、痛烈なものがきます。



いついなくなるか分からないので、

自分は何をするべきなのかとか、
明日死ぬのなら、何をするかとか、
何をすれば満足なのか、長く生きればいいのか、
人類のへ貢献?誠意ある態度?何か分かりません。


答えはおそらくないでしょうし、
信じるしかないのかもしれませんけど、
信じて進んで、結局どうなるのか。
感謝されても、嫌われても、
死んだら本人には関係ありませんし、
本人も、本人の周囲の人も、300年も経ったら、
誰もいなくなって、ほとんどの人が、
ほとんどの人に忘れられているでしょうね。


生きている実感。
仮想と現実の間とか、生きているのか死んでいるのか
よく分からないと思っていましたが、
死は確実にある。死んでなければ生きているのか。
生きている実感は必要なのか。


と考えていると、めまいがしてくるので、
考えないように、動き回っているのだろうか。