夏の雑想

二十七日で、会社の先輩だった
菅原さんが事故で亡くなって四年になる。
去年はうちの祖母が亡くなったのだった。


亡くなったときに、
「もし生きてたら、この先、楽しいことがあったかも」
と思うと、つらくてやりきれなくなるので、
亡くなったときは、
ああ、いちばんいいときに亡くなったのだ。
もし生き続けていたら、とてもつらいことになっていた。
と思い込むことで、
ぼくは、悲しみを中和したり、
心の準備をしてきていたことに気付いた。
でも、亡くなった人の未来を、かってに、
きっと不幸になったと決めてしまうのは、
わるいなと思って、反省した。


九十歳まで生きたんだから、大往生だよ
とまわりが言っても、
本人は間際にどう思うのだろう。
百歳まで生きたら、
もうじゅうぶんだ。
と思うのだろうか。わからない。
よく働いて、じゅうぶんな土地や家を買って、
生命保険に入って、奥さんや子どもに、
それらを遺せたら、安心するのだろうか。
安心なわけないか。


何かを成し遂げたら、何かを手に入れたら、
もういいと思うのだろうか。きっと満たされたら、
また次の欲が出て、生きようと思うのだろうな。


家が流されたり、家族を失っても生きる。
生きることについて意味を、
求めるのがおかしいのかもしれない。
だれでも、いつか死んでしまう。
早くてもおそくても。
生きて死ぬだけでいいとも思うけど、
まだ、その境地には至れない。


よく生きれますように。