(前編は、こちら)
二日目。大垣から岐阜まで新快速で行って、
岐阜から特急ワイドビューひだ9号に乗って下呂へ。
岐阜駅で何かおいしいものを食べようとして、
歩き出したのですが、電車の時間が迫ってきて、
売店で売っているおにぎりを二つ食べました。
ひだ9号の中で、お弁当を食べました。
一時間ほど列車に乗っていると、山の奥に入って、
エメラルドグリーンの水や、もこもこに生い茂った山に囲まれ、
おおー、となりました。岐阜県は自然が豊かだったのですね。
宿は小川屋というところで、フロントに荷物を預けて、
温泉街を散策しました。
宿の中に足湯があったので、湯に足を入れました。
つるっとしたぬめりがあって、
アルカリ性単純温泉だと思いました。
宿のすぐ近くにある温泉寺へ行きました。
石段を百七十段くらい上がると、下呂温泉街が一望できました。
ところで、下呂温泉は、有馬温泉、草津温泉とともに、
「日本三名泉」に数えられているそうです。
これで三名泉すべてに行ったことになりました。
江戸時代の儒学者林羅山と、羅山先生につきまとう猿の像。
この羅山先生が自著に、
諸州多有温泉、其最著者、摂津之有馬、
下野之草津、飛騨之湯島(下呂)是三処也
と書いたことが、日本三名泉とされた由縁らしいです。
また、下呂温泉には白鷺伝説というのがあるそうです。
岐阜には伝説や言い伝えがたくさんあるなと感じました。
宿で温泉に入ったり、飛騨牛を食べました。
夜、下駄を履いて散歩に出ました。
川の音が心地よく、風情があって心が静まりました。
三日目
温泉神社へ行くつもりが、
温泉神社ではない神社に来てしまいましたが、
こちらもとてもよかったです。
下呂駅の近くで日本酒の実演販売があって、
それがたいへんうまかったので、一本買いました。
飛騨の天領という大吟醸酒です。
特急ワイドビューひだ8号で名古屋まで行く間に、
天領を少し飲みました。
名古屋に着いたら、コメダ珈琲店の
「シロノワール」という食べ物が有名らしく、
それを食べました。
焼いたパンの上にソフトクリームが盛られたものです。
同じく、名古屋といったら「ひつまぶし」ということで、
熱田の蓬莱軒へ行こうとしたのですが、時間があったので、
中村区にある父方の祖母の家に行きました。
祖母は癌にかかっていて、もう長くは生きられないそうなので、
元気なうちに会っておきたかったのです。
祖母は放射線治療の影響で、髪の毛がなくなっていましたが、
話し方は昔と変わっていなくて安心しました。
十年ぶりに会ったのではないかと思いました。
祖父のお仏壇に手を合わせました。
祖父は僕に名前を付けてくれた人で、
名古屋駅周辺の昔からある大きなビルディングのいくつかは、
祖父が水道やガスの設備を設計・施工したのです。
祖父と祖母の遺伝子が僕に継がれているのを感じて、
これは僕だけのものではなく、僕はひとつの通過点や、
遺伝子の乗り物なのだなという気持ちがしました。
一時間ほど話をして、伯父さんに少し送ってもらって、
地下鉄に乗りました。
ひのじさんも来てくれて、
「おばあちゃん、すごくよろこんでたね。よかったね」
と言ってくれました。
熱田
ひつまぶしの「あつた蓬莱軒」の開店時間を、
四十分ほどすぎて行ったら、行列がなくて、
あれ? と思ったら
「ただいま、三時間半待ち」
という紙があって、のけぞりました。
三時間後には、新幹線に乗ってなくてはならないので、
あきらめることにしました。
幅が異様に広い道路をみつめて、途方にくれる僕。
僕は数年前に、ここの蓬莱軒で、
ひつまぶしを食べたことがあったのですが、
ひのじさんにも食べさせてやりたかったなと思いました。
せっかく熱田まで来たのだからと、熱田神宮に行きました。
とても広くて緑が多く、強いパワーを感じる神社でした。
神社を後にして、
「まあ、ひつまぶしは蓬莱軒だけじゃありませんから」
と、iPadで検索して、ひつまぶしの店を探して、
新栄町にあるうなぎ割烹の店に入りました。
こちらは僕ら以外にお客さんはいませんでした。
ひつまぶしを注文して、食べました。
とてもうまかったのですが、
「ひつまぶしという感じが、あまりしないな」
と、うっかりつぶやいたら、
「じゃ、これなんなの!?」
と、問われました。
それにしても、この店のインテリアが強烈で、
等身大のパンダの置物とか、観音様が飾ってあったので、
よかったです。